「同労者」第44号(2003年6月)                目次に戻る  表紙に戻る

わかふうふわかもん

 − ハ ン ナ の 祈 り −

仙台聖泉キリスト教会  山田 行

「この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださ
いました。それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡された者
です。」(サムエル記T1:27〜28)


 4月29日の祝日に子供たちの学校で運動会がありました。2月に足を骨折した息子も癒さ
れてギブスもとれ、10日前位から松葉杖もなくなり少しずつリハビリと普通の運動もするように
なりました。
 運動会で徒競走に出るか出ないか本人はとても迷っていましたが、「びりでも一生懸命走っ
てみようよ」と学校の先生と私たち親に励まされ、出ることになりました。結果は、先頭の子供
からずっと遅れてのゴールでしたが、息子は精一杯走り、まわりのお友だちや先生がた、たくさ
んの人にあたたかい応援をもらって最後まで走りきりました。私は思わず涙があふれました。
主人も涙ぐんでいました。「本当に良く頑張ったね」と息子を抱きしめたときの彼の笑顔は忘れ
られないものになりました。ここまで支えてくださる神様に心から感謝しました。
 上記の、み言葉の背景にハンナの祈りがありました。その祈りに答えてくださった主から子供
が与えられ、その喜び、愛をあらわす最高の手段として、その子の一生を献げると告白してい
ます。
 私もそうでありたいと願っています。神についてや子供たちについて、また自分自身や夫婦
について考える時、どんな時でも「この子は、一生涯、主に渡された者です。」と告白することが
子供を預けていただいた者の最高の告白だと思うからです。愛すれば愛するほど子供にとっ
て平安で幸いな場所は主のところの他どこにも無いと思うからです。もし我が子を神にお渡し
するならば神は喜んで受け入れてくださり御自身のみ翼の下で養ってくださり愛し続けてくださ
ると信じています。これから、多くの困難を通り罪との戦いがありそしてきちんと、十字架の前
にへりくだり救いをいただくときまで、私はこの子供たちと生きていきたいと願いました。主から
預けていただいた命を育てるという最高の御用と感謝しつつ。いつでも、子供がご入用である
ならばお返しできるように、自らも信仰を強めていただき祈り深く歩んでいきたいと願います。



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