「同労者」第45号(2003年7月)              目次に戻る      表紙に戻る

聖書講義

 − 昨日のサムエル記 (その27)  −

仙台聖泉キリスト教会  牧師 山本 嘉納


 私の両親もいよいよ70歳である。母はすでに4月で達している。父は11月なので最期の60
代を生きている。彼らが生涯を主に献げた者であることは教会をはじめ最も近いところにいて
一部始終を見てきた私達子供の証しするところである。彼らが近年、色々な事を遠慮なくやる
ようになって尚一層、彼らのこだわりや生き様が自らの中から出たものではなく神の啓示によ
って持たされたものであることを痛感する。主に対する従順を全うするのに欠くことのできない
献身は、信じて告白することに始まりたゆまない真摯な生涯によって達成するものである。組
織の上に立つ者に委ねられる責任は大きい。少なからず責任者の舵取りが組織の行く末を左
右する。言うまでも無く主が教会の頭ではあるが、直接的にそれを動かすのはそこに置かれた
人である。神の豊かな助けの御手は教会の存続に決して短くはないだろうし、人がどうこうしよ
うとも主がそれを許す限り続けられ、保たれて行くだろう。しかし、だからといって私達一人一
人は、与えられている責任を無思慮に果たしてはいけない。特別な知性や能力、人を引き付
ける特別な魅力を持ち得なかった私の両親にとって彼らの主に対する従順を守るためにあき
らめなければならなかった人との繋がりが多くあったことも私は知っている。「なぜなら、わたし
は人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さら
に、家族の者がその人の敵となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい
者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではあり
ません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありま
せん。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失
った者は、それを自分のものとします。あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるの
です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。」(マタイ10:35
〜40)
 ダビデの物語もいよいよ大詰めである。自らの子と戦争をしなければならなかった現実は大
きい。主を畏れた有能で優れた息子に追い落とされるのであるなら本望だが、自らの生涯に
おける大汚点の尻拭いで起こった対立の結末では最悪のシナリオと言わざるをえない。しか
し、古今東西を問わず身内の骨肉の争いによる悲劇は後を絶たない。人間の親愛はいつ何
時、何らかの原因で憎悪に換わるか分からないのである。こんなところに神が人に生来与えて
くださった愛が、罪という神に対する反逆によって汚染されてしまったかが分かる。ダビデ王家
はこの世的に見ればユダ王国の存続とその後のエルサレム再建頃まで続く。その後は系図と
して残りキリストに続く。天的に見ればキリストの十字架と復活によって王権が確立し今も続い
ている。ダビデにとってこの上ない栄誉だがそれを受けるために払った犠牲は大きい。余談だ
がイスラエルの歴史には代々受け継がれた職務がもう一つある。祭司職は出エジプトの時の
アロンに始まりダビデの時代、その他の王達の時代、捕囚後も続き、キリストの時代にも大祭
司がいて処刑に加わっている。本来その働きと信仰の優劣なら圧倒的にモーセが抜きん出て
いた。しかし、神はモーセではなく彼の兄、アロンを選んでイスラエルの祭司を彼とその末の職
務とした。アロンはその二人の子ナダブとアビフが、おのおの自分の火皿を取り、その中に火
を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげたことによっ
て主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。(レビ記10:1〜2) 厳しい神
の裁きの現実である。この時アロンはそれに対し、ただ「アロンは黙っていた。」と記されてい
る。彼は当時、この職務を本当に栄誉ある働きとしていたであろうか。それよりも生きた神の
前で震えおののきつつ仕えていたのではないだろうか。
 ダビデに話を戻すが、前回書いたように彼は風雲急を告げ、エルサレムを後にし逃げた。
「アヒトフェルがアブシャロムの謀反に荷担している。」という知らせを受けたが、そのとき、ダビ
デは言った。「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」聖書は、そこにフ
シャイという人物が登場したことを続けて書いている。彼もまた大いなる悲しみと共に起こるで
あろう現実の厳しさに「上着を裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た。」彼がどのような
人物であったかは物語のほかに歴代誌に「アヒトフェルは王の議官で、アルキ人フシャイは王
の友であった。」とだけ記されている。この二人が併記されていると言うことは、世代や地位、
権限や業績、知性や教養などに大きな違いがなかったことが推測される。とにかくこの時点で
アヒトフェルに対抗できるのはフシャイしかいなかった。ダビデはフシャイに言った。「あなたが
町に戻って、アブシャロムに、『王よ。私はあなたのしもべになります。これまであなたの父上の
しもべであったように、今、私はあなたのしもべになります。』と言うなら、あなたは、私のため
に、アヒトフェルの助言を打ちこわすことになる。」エルサレムに彼を残しダビデは対抗措置を
取った。幾多の困難を乗り越えて来たダビデにとってフシャイの登場は正しく神への祈りの答
えと取ったのであった。しかし、彼が命を懸けて王を守るかどうかは信じて委ねるしかないので
ある。フシャイのその後の行動を追ってみよう。「ダビデの友フシャイは町へ帰った。そのころ、
アブシャロムもエルサレムに着いた。…ダビデの友アルキ人フシャイがアブシャロムのところに
来たとき、フシャイはアブシャロムに言った。「王さま。ばんざい。王さま。ばんざい。」アブシャ
ロムはフシャイに言った。「これが、あなたの友への忠誠のあらわれなのか。なぜ、あなたは、
あなたの友といっしょに行かなかったのか。」フシャイはアブシャロムに答えた。「いいえ、主と、
この民、イスラエルのすべての人々とが選んだ方に私はつき、その方といっしょにいたいので
す。また、私はだれに仕えるべきでしょう。私の友の子に仕えるべきではありませんか。私はあ
なたの父上に仕えたように、あなたにもお仕えいたします。」それで、アブシャロムはアヒトフェ
ルに言った。「あなたがたは相談して、われわれはどうしたらよいか、意見を述べなさい。」…し
かしアブシャロムは言った。「アルキ人フシャイを呼び出し、彼の言うことも聞いてみよう。」フシ
ャイがアブシャロムのところに来ると、アブシャロムは彼に次のように言った。「アヒトフェルはこ
のように言ったが、われわれは彼のことばに従ってよいものだろうか。もしいけなければ、あな
たの意見を述べてみなさい。」するとフシャイはアブシャロムに言った。「このたびアヒトフェルの
立てたはかりごとは良くありません。」…私のはかりごとはこうです。全イスラエルをダンからベ
エル・シェバに至るまで、海辺の砂のように数多くあなたのところに集めて、あなた自身が戦い
に出られることです。われわれは、彼を見つけしだい、その場で彼を攻め、露が地面に降りる
ように彼を襲い、彼や、共にいるすべての兵士たちを、ひとりも生かしておかないのです。もし
彼がさらにどこかの町にはいるなら、全イスラエルでその町に綱をかけ、その町を川まで引き
ずって行って、そこに一つの石ころも残らないようにしましょう。」アブシャロムとイスラエルの民
はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これ
は主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打
ちこわそうと決めておられたからであった。サムエル記第U16章後半〜17章前半。
 栄光を主に帰し、感謝と賞賛を友に与えよう。真の友は私達の願いを知りその成就のために
奔走してくれる。信仰者は神への奉仕に財を投じて残す遺産は何も無いかのようである。生涯
を主に献げた両親が私に譲ってくれるものは、主を愛する彼らの真の友であることを心から感
謝する。



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