「同労者」第45号(2003年7月)                  目次に戻る    表紙に戻る

論  説
 ― サマーキャンプで霊的前進を ―

 サマーキャンプがやってきます。久しぶりに仕事を離れて、鵜の岬の自然のなかで、くつろ
ぐ・・子供さんのおられる方々は、家ではできない子供さんたちとの遊びができる・・本当に素晴
らしいことです。
 一方、神からの霊的な恵みを求める人々にとっても、よいチャンスです。分科会や礼拝はも
とより、ひとり恵みを求めることもできます。戸外には静まることのできる場所が各所にありま
す。皆さんが遊びに出た後の部屋もまた静まることのできるよい場所です。
 また、普段考えないようなことにも挑戦してみてはいかがでしょうか。皆さんは、「教理」だの
「神学」だのと聞いただけで、両手を前にだして手のひらを前方に向け、振り動かしてこういっ
たりしませんか?「私は結構です。結構です。」と。キリスト教は「教え」が大切な宗教であって、
イエス・キリストや使徒たちは聖書にどのような教えを示しているのか、それを知り、それに生
きることによって、私たちは豊かな恵みを頂くことができるのです。それが「教理」とか「神学」な
のであって、それを避けている人はさしずめ、「あなたは今まで知らないでいましたが、ここにあ
なたのお父さんが残した金鉱山の権利書あります。資産価値は一兆円にもなりますよ。この受
け取り書にサインをして受け取ってください。」とそれを与っていた弁護士さんが言おうとしてい
るのに、それを聞かないで「私は結構です。結構です。」と先のように手を振って拒絶している
ようなものです。
 大切なことは、「関心をもつこと」と「慣れること」です。
筆者がはじめてジョン・ウェスレーの説教集の序文の一節にふれた時の感動は、今も記憶に
新しいが、その一段落を引用しましょう。
・・わたしはひとつのことを――すなわち天国への道を知りたいと切に願う。どのようにしたらそ
の幸福の岸辺に安着できるのであろうか。・・神はこの道を教えるために一冊の本を書きつけ
たもうた。・・わたしは今それを持っている。・・
私もそれを知りたい、と思いました。ですから聖書を読み、信仰書を読み漁ったのでした。絶え
ず聖書は何を教えているのかと信仰のことを考えました。それは皆さんの参考になることでしょ
う。
 「マリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」(ルカ2:19)
神の恵みを豊かに頂きたいと願うなら、マリヤのように示されていることを、その場で理解でき
なくとも心に絶えずそれを保ち、温めていることが大切です。
 サマーキャンプを霊的前進の場とさせて頂こうではありませんか。



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