「同労者」第45号(2003年7月)                目次に戻る  表紙に戻る

わかふうふわかもん

 − 父 の 日 −

仙台聖泉キリスト教会  山田 行

「子供を、その行くべき道にふさわしく訓練せよ。そうすれば、年老いてもそれから離れない。」
(箴言22:6)


 6月は父の日があります。我が家の子供達もお父さんへ何をプレゼントしようか相談していま
した
『お父さんの好きなものはお母さんの作ったチーズケーキなのでそれにした。」と言うのです。
二人のお小遣いから500円で注文を受けました。子供達は本当にお父さんがそばにいるとべ
たべたしたり、よじのぼったり、とめどなく話したりしています。大好きなナイターをみている夫
は時に「もういい加減あっちへいってくれよ」と、それでも聞こえないふりをして、いつまでも離れ
ないのです。こんな時がいつまで続くのでしょう。
 私も子供のときは父の手を握っていないと眠れない子供でした。毎晩父は、よくもまあ付き合
ってくれたなと今、自分が子育てをしていると思います。よく散歩にも連れて行ってくれました。
兄弟達と父の周りをくるくると走り回ってよく歩いたものです。たまに公園の屋台のおでんを買
ってくれた時は本当に嬉しかったです。
 父は時々びっくりするような料理を考え出しました。新聞紙の中に硬いしょうゆせんべいをお
いてバリバリと粉々にし、ごはんのうえにかけお茶をかけるのです。「おいしいぞ」と私達は大
喜びでまねをしました。「おいしね」と言ってはみたものの、二度と同じことをしたことはありませ
んでした。又、魚をさばいたり、ほやを作ったり、さすが海で育ったという手さばきでした。一つ
だけかんべんしてほしいと思ったのは、みそしるに、きゅうりがはいっているものでした。さすが
にそっと残しました。
 学校の行事は父がほとんど来ました。高校の三者面談のとき、年若い担任の先生は、牧師
の父が来たのでとても緊張して誰の面談かと思うほどしどろもどろしていました。卒業式も、大
泣きする私を何も言わず見つめていました。勉強は国語や数学など教えてくれたことはありま
せんが家庭科のミシン縫いは見ていられなかったようで、ほとんど父が縫ってくれました。勉強
しなさいでもなければ、どうだ?でもない父でした。
 そうかと思えば、遊びや仕事に関しては厳しく、細かく言う人でした。何をするにも一緒にして
くれて、水泳、つり、スキー、ボウリング、野球、外での炊飯などです。遊びや作ることで回りの
人とどうやって協力したり役に立つか、楽しみ方など生きるために大切なことを一つ一つ教え
てくれたように思います。
 怒るととても恐ろしく頑固なところもありますし、へそが曲がることもあるのですが、どんな時も
変わらない深い愛と安心感を与え続けてくれました。小さな心に父を見る事は、神を見ることで
した。そばにいることは、神のそばで生きることでした。私が救われる大きなきっかけは、大切
な親を自分の罪で悲しませ続けてはいけないということでした。
 そんな父も今年で70歳になります。一途に神に使え、教会を愛し、家族を守り続けた人生だ
と思います。父の日は『いつまでも元気でいてね」とBighugと、するめを送りました。


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