「同労者」第46号(2003年8月)              目次に戻る      表紙に戻る

ショートコラム ねだ

 − 不 思 議 な 人  −


 「あんたは、ごちそうを出されるとあんなにぱくぱくよく食べるのに、食べないでもいいんだっ
て、不思議な人だねえ。」とY牧師に時々言われていた。
 先日、種明かしをしてしまったが、内心「しまった!!」と思った。
 種明かしをすればただの人、"不思議な人"でいたほうがかっこいいじゃありませんか。
 もっとも「不思議な人」にもいろいろありまして、片や「神秘の人」・・これがいいですね、だがも
う一方は、「奇人」「変人」・・これはいただけませんね。
 お腹の調子は至って健康そのもの、先の"食べないでいる"時には、要するに人並みに"お腹
を空かしている"だけなのである。
 だいたい、医者に言わせれば、「注射をしたとき、ぎゃあぎゃあ泣き叫ぶ子供も、泣かない子
供も感じている痛みの刺激は同程度のハズです。同じ程度なんだけれども、ある子はそれを
非常に苦痛に受け取り、ある子はそんなに苦痛だと受け取らないのですよ。」である。だからき
っと空腹感も私たちは皆同じ程度の刺激を受けているにちがいないものと思われる。
 つまりこういったことをやってのけるには、心理的作用が大なのである。ご婦人方は、より美
しくあるためには冬の寒さも何のその、足はストッキング一枚で過ごすではありませんか。窮屈
な下着も何のその、しっかと身体を締め上げて・・と言うわけでありますな。
 はたまた、これは"身体にいいですよ。"と言われると、まずい食材も食べれば、くさい臭いも
何のそのである。にんにくなんぞという臭いものも、自分が食べるときには"いい香り"だ。ニラ
もしかり。私の父親なんぞは若い頃、胃の調子がどうも良くなかったらしい。誰かに「石油を飲
むといい」と教わって、本当に石油を飲んでいた。そんな身体に悪いものを飲んでも、よくもま
あ長生きしたものだ。それとも本当に効いたのか?そんなことはとてもありそうには思えない
が。

 私たちの主のため福音のために働くということは、労苦を担うということであって、それは苦
痛を伴うものである。何に心が向いているかでそれが、耐え難い苦痛にもなれば、善き実を結
ぶ喜びの道にもなるのである。
 ヘブル人への手紙12章2節を読まれたし。「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえ
に、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、・・」このような引用のしかたは大変おそれ多
いことだが、イエスも私たちとおなじであられた。



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