「同労者」第46号(2003年8月)                  目次に戻る    表紙に戻る

論  説
 ― 意 識 の 改 革 ―

  彼は答えて言った。「・・あの方は私の目をおあけになったのです。神は、罪人の言うことはお
聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行なうなら、神はその人の言うこ
とを聞いてくださると、私たちは知っています。・・」(ヨハネ9:30〜33)

 世を挙げて、構造改革だ意識改革だと叫んでいる昨今の状況です。彼らが取り上げている
問題は、会社の経営であったり、国や地方自治体の財政問題であったり、頻繁おきる不祥事
であったりします。それぞれ自らが預かっている組織や団体などがよくない状況になっているこ
とを認めて、組織のしくみを改善しようとするのが構造改革であり、それを構成している人間を
改善しようとするのが意識の改革です。
 私たちの聖泉連合に当てはめて考えるなら、JSFをつくったことや、総会の六部委員会をつ
くったことは、構造改革のひとつであったといえると思います。しばらく時が経ちましたから、今
の状況にあわせてまた新たな構造改革の工夫も必要かも知れません。よりよい連合を目指し
て神に知恵を与えて頂きたいものです。一方、それに参加している私たち一人ひとりの意識も
改革していく必要があることでしょう。いつまでも同じであってよいはずはないからです。
 しかし、ただ意識の改革とだけ言われても、どうしたらよいのか、意識をどのように変えるの
か見当がつかないことでしょう。私たちはキリスト教を信じ、それをもって私たちの人生を生き
ていこうとしている者たちです。ですから意識の改革もそれにどう取り組むかということに掛か
っています。
 冒頭の聖書の引用箇所は、イエスがつばきでこねた泥を目につけられてシロアムの池で洗
って癒された生まれつき盲目であった人が、パリサイ人に対して自分の意見を述べている部分
です。彼はイエスが「神を敬い、そのみこころを行っている人であるから」イエスの願いを神が
聞いて自分の目を開けてくださったのであると主張しているのです。
 私たちが願い事を持ち、祈りを神に聞いていただきたいと思いながら、この記事を読むとき、
まず自分がいかなるものであっても、イエスのゆえに祈りを聞いていただける期待をもつことが
出来ます。祈りの答えをいただく経験ほど、私たちの信仰を強めるものはありません。
 次に起きてくる問題は、私たち自身が「神を敬い、そのみこころを行っている人」であるかどう
かと言うことです。「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。・・恵みが増し加わ
るために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。絶対にそんなことはありません。」(ローマ5:
20〜6:2)このパウロのことばを真剣にとり上げてみることが、意識の改革の要です。
 それが私たちを潔めに導き、聖泉連合が神の喜びとなることに導くのです。



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