ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開 してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。 質問の送付先は巻末にあります。 先月の質問の回答例(作成者:野澤) R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ いての説明を続けます。 <イエス・キリストの品性> ・・・つづき 2 父なる神に対するイエス・キリストの愛 2.2 み父に対するイエス・キリストの愛はいかに顕わされたか。(つづき) (8)み父に対するイエス・キリストの愛は、み父が彼になさしめるために与えたもうたみ業を成し 遂げたことによって明らかである。 「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であな たの栄光を現わしました。」(ヨハネ17:4) そのみ業はいつ終わったのでしょうか。「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了し た。』と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。」(ヨハネ19:30) それは十字架上に おいてでした。イエスがカルバリーの十字架上に登られたのは、彼が人間に対する愛より先 に、まずみ父に対する愛ということに基づいたものでした。 私たちは、父なる神はキリストによ って人類を愛しておられる、と主張しています。そしてそのことは真理です。またそれと同様に 真理であることは、イエスが人類の救いのために払われた犠牲は、その究極的な理由と根本 的起源を父の聖意に服従するということに置かれていたという事です。ですからみ父はイエス の最高の愛の目的でした。 (9)み父に対するイエス・キリストの愛は、彼がみ父の栄光のみを求められたことによって明ら かである。 「イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。『父よ。時が来ました。あな たの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。』」(ヨハネ17:1) み父の栄光は、イエス・キリストの第一かつ最大の野望であり、彼のいのちを焼き尽くす熱情 でした。彼は父の栄光のために計画し、祈り、活動し、苦難に遭い、遂に死にまで至ったので す。 ですから、イエスは第一かつ最大の戒めは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を 尽くして、主であるあなたの神を愛しなさい。」ということであると教えられました。(マタイ22:37〜 38) 彼のご一生こそは、実に彼が自ら教えなさったこの律法の最高の表現なのです。 3.人に対するイエス・キリストの愛 3.1 人々の中の誰をイエスは愛されたか? (1)イエス・キリストはご自身の教会を愛された。 「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、 自分の妻を愛しなさい。」(エペソ5:25) 教会はキリストによって、特殊な意味と特別な方法とによって愛されています。この世の博愛 家は、凡ての人間を愛するといいますが、もしその人が真の人間であったならば、他のどんな 婦人にも優って自分の妻を特別に愛するはずです。それと同様にキリストは、彼の花嫁である 教会に対して特別な愛を持っておられました。 それは私たちがキリストの愛について説かれ ている種々の聖句を学ぶに当たって、非常に注意を要することです。つまりそれらの聖句が果 たして一般的なキリストの愛、すなわち全人類に対するキリストの愛を説いているか、または特 別なキリストの愛、すなわち彼の体であり、彼の花嫁である教会に対する愛を説いているかど うかということを注意して学ぶべきです。 (2)イエス・キリストは各個人個人の信者を愛される。つまり、イエス・キリストは彼の教会全体と して愛されるのと同時に、彼を信じる個人個人の信者を愛されるのである。 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが 私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のために ご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20) (以下次号) 今月の質問 来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。 説明について、疑問点がありましたらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致しま す。
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