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          「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪
           
          から救ってくださる方です。」(マタイ1:21) 
          2.2 罪についてまず考慮すべきこと
           
          
           罪についてまず考えなければならないことは、一般論ではなく、「私は、いつ、どこで、誰に、
           
          なぜ、どのような悪しき行いをなしたか」です。 
           おおよそまじめに教会生活をする者に、神がその人の罪を指摘されないはずがありません。
           
          神が示される"その一つの罪"が大切なのです。 
           私たちは一般論だけでなく、そういった実際的な道も知る必要があります。
           
          
           <罪と誘惑の境界>
           
          
          「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の
           
          中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5:28) 
           これはイエスが山上の垂訓で語っておられる心の内の罪の問題です。性に関する罪につい
           
          て、男の立場で女を見るという視点から述べられている訳です。その基準は実行していなくても 罪を行ったと判断するとされています。この判断は、聖書の他の記事によってもう少し詳しく理 解する必要があります。 
           もし心に思い浮かんだことすべてを、罪を行ったと見なしたら、ヨハネのいう救われてキリスト
           
          のうちに歩むものは罪を犯さないということと相容れません。つまり、「だれでもキリストのうちに とどまる者は、罪のうちを歩みません。罪のうちを歩む者はだれも、キリストを見てもいないし、 知ってもいないのです。子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行なう者は、キ リストが正しくあられるのと同じように正しいのです。罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者で す。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこ わすためです。だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がそ の人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことがで きないのです。」(ヨハネT3:6〜9)と、先のイエスのみことばとは両立しなくなってしまいます。 
           ですからイエスの言われる「情欲をいだいて女を見る」とは、意志決定を含んでいるものと解
           
          する必要があります。実行していなくても意志決定したなら罪を犯したのです。この世の裁判に おいても「未遂犯」として罪を認定します。 
           この原則は、性に関することだけでなく、すべての罪について当てはまります。
           
          
           意志決定されていない段階では、誘惑なのです。誘惑にあったなら速やかにその誘惑を退け
           
          ること、これが信仰生活の上で非常に大切なことです。そして罪を犯したなら、速やかに悔い 改めてその罪を離れることが同様に大切です。 
          3.なぜ救われるのか
           
          
           人間は、なぜ救われることが出来るのでしょうか。その根拠は何でしょうか。それはイエス・キ
           
          リストの贖いによって救われるのです。 
           贖いについて少し考察しておきたいと思います。
           
          
          <贖い>
           
          
          「彼らは、新しい歌を歌って言った。『あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさ
           
          わしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中か ら、神のために人々を贖い、・・』」(黙示5:9) 
           旧約聖書の示す贖いと新約聖書に示されている贖いを対比して見ましょう。
           
          
           旧約
           
          
           引用聖句:
           
          
             出エジプト記13:1〜16、25:17〜22
           
          
             レビ記16:1〜34、25:47〜49
           
          
             ヘブル9:1〜28
           
          
          @贖いは犠牲の死によってなされました。罪を犯した人が死ぬ代わりに、動物が死んだのであ
           
          って、代死を表わしています。出エジプトしたときの過ぎ越しの子羊の血も同一です。 
          A贖いは契約の箱の蓋で象徴され、律法を封ずるものでした。このことは、契約の箱の中に
           
          はモーセが神に書いていただいた十戒を刻んだ石板が入れられてあり、それに蓋をすることで 示されています。それは律法を満す(技術の分野の表現では満足すると言います。)ことを意 味します。 
          B贖いということばは、兄弟あるいは親族が、奴隷とされていた者を買い取って自由にするこ
           
          とを意味して使われました。兄弟がその負債を代わって負うことにその意味があります。 
          C子供がいないまま、夫に先立たれた女をその兄弟あるいは親族が娶って先の夫の名を残
           
          すことも贖いと呼ばれています。(新改訳聖書では買い戻しということばが使われていますが、 他の聖書では贖いとなっており同じ意味だと解されています。)贖われた女は、贖ってくれた人 の妻となるのです。 
           新約
           
          
          @代死
           
          
           人はイエス・キリストの死によって贖わ
           
          
          れます。
           
          
          「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人の
           
          ための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」(マタイ20:28) 
          「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイ
           
          26:26〜28) 
          他に
           
          
           ヨハネ10:11、15 羊のために命を捨てる
           
          
           エペソ1:7 私たちは・・御子の血による
           
          
              贖い、すなわち罪の赦しを受けて
           
          
           ヘブル2:9 すべての人のために死の苦し
           
          
              みを味わわれた
           
          
           ヘブル9:12、28 動物の血ではなくご自分
           
          
              の血によって贖われる
           
          
           ヘブル10:19〜22 私たちもイエスの血に
           
          
              によって聖所に入ることができる
           
          
           イザヤ書53
           
          
          を引用。
           
          
          Aなだめ(律法を満足させる)
           
          
          「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神
           
          は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しに なりました。それは、ご自身の義を現わすためです。」(ローマ3:25) 
          「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持
           
          っています。」(ローマ5:1、8〜11) 
           神が義たる立場を失うことなしに、罪人を赦される法的根拠を与えるものです。
           
          
          これが神と罪人との和解をもたらします。
           
          
          B自由
           
          
          「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。・・ 
           
          ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。」(ヨハ ネ8:34〜36) 
          「被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられま
           
          す。」(ローマ8:21) 
          「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがた
           
          は、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」(ガラテヤ5:1) 
           コリントT6:20 代価を払って買い取られた
           
          
           使徒20:28 神がご自身の血をもって買
           
          
             い取られた神の教会
           
          
           旧約の人々は、この世の奴隷としての立場から兄弟によってお金で買われて自由にされまし
           
          たが、新約の私たちは、罪の奴隷としての立場から、兄弟キリストによってキリストの血という 代価で買い取られ、自由の身とされました。 
           キリストの贖罪の結果、新しい神の民が創造されました。(ローマ5:12〜21)
           
          
          Cキリストの妻
           
          
          「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」(黙示21:9)
           
          
          「『それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。』この奥義は偉
           
          大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」(エペソ5:31〜32) 
           私たちは、キリストによって買い戻されて、キリストの妻となりました。教会、そして信者の一
           
          人一人がキリストの妻なのです。 
          <キリストの贖いの業における復活の意義>(次回に)
           
          
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