「同労者」第48号(2003年10月)                目次に戻る  表紙に戻る

わかふうふわかもん

 − 伸び伸びとした信仰者に −

仙台聖泉キリスト教会  山田 行

 最近、私達の家のそばで通り魔が出て女子中学生が刃物で切りつけられたという事件が起
きました。毎日のニュースはこのような恐ろしい事件ばかりで、それが弱い子供たちにも及ん
で来ています。そしてそれは、私達の遠いところの事ではなく、すぐそばまで、ひたひたと近づ
いていることを感じざるをえない状況に来ています。そんな事があって子供たちが友人の家へ
遊びに行くことも当分は止めさせなくてはいけなくなってしまいました。夫も私も仕事で夕方遅く
の帰宅になるので、心配ばかりが募り「これをしてはいけない。これには気をつけなさい。」と毎
日そんなことばかり子供たちに言っているようになりました。子供たちは何もわからないまま怖
さだけを持ち一人では何も出来ない、選べない、少々消極的になりつつあることを感じていま
す。
 ある外国のクリスチャンの母親が書いた本を読んだときに書いてあった言葉が心に留まりま
した。それは「私は子供に、いつも神様と人々が喜ぶことをしてほしい。そういう子供に育てる
には聖書の山上の垂訓として有名なマタイ7:12の何事でも自分にしてもらいたいことは、ほ
かの人にもそのようにしなさい。と言い聞かせています。」と、あったのです。わたしはいつも「し
てはいけない」ばかりで「してごらん」「しなさい」がなかったように思ったのです。それこそ「何事
でも自分にしてもらいたくないことは、人にもしてはいけません」となってしまいがちです。それも
ある面必要でしょうが、「しなさい」と「してはいけない」この小さな違いに思われますが、やはり
御言葉のように意識して「しなさい」と積極性をもつほうを選んでいかなくてはいけないと思いま
した。悪い時代であり多くの矛盾に囲まれ、消極的で静かでおとなしい子供の方が親にとって
は安心のように感じますがその中で私たちは神様の守りを祈りつつ伸び伸びと神の子供として
胸を張って生きていって欲しいと願います。



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