「同労者」第49号(2003年11月)                目次に戻る    表紙に戻る

巻頭言
− 身近にある恵み − 
仙台聖泉キリスト教会   斎藤 優子

「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望
むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。し
かし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死
んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みに
よるのです。」(エペソ2:3〜5)

 今年もいよいよ押し迫ってきて忙しい夏を過ぎるとあっという間に秋、冬と季節は毎年同じよ
うにその姿を変えていきます。今年もサマーキャンプを終えてから、田舎に帰ってきました。少
し白髪が目立ってきた父や母がいて、兄弟達がいて、よくあきないなあと思うくらい、毎年やっ
てくる伯父や伯母も顔を見せてくれます。都会のいろいろな事から逃れてほっとする安らぎの
空間が故郷のいい所なのですが、また心を打ち開けられる自分を受けいれてくれる唯一の所
でもあるようです。

ニホンタンポポ

 家族親族が集まれば、子供のこと、仕事や経済のことなどがあけすけに語られます。そんな
中に入らせてもらい、彼らの語ることばの中に、人って本当に自分の欲のままに生きている、
一つの観点しか目に入らないものなのかと感じさせられました。ですからかえって彼らがかわ
いそうな思いがしました。それは自分がイエス様に救われて、幸いの中に生かされているの
で、多くの見えないものが見えるようになった為であると思います。私は昔、おとなしい子と思
われていたのですが、生まれつきのなにかではなく、自分は大きな恵みを頂いているのだと分
かりました。
 普段、そのような幸いの中に生きつづけているにもかかわらず、それに慣れてしまって、それ
が見えずにまた悩んだり、感謝できなかったりします。神様はそういう状況に陥っている私をご
覧になると悲しまれるのだと思います。多くの罪人があえいでいるこの世の中にあっても、神様
の恵みの中に生かされ、生きつづけること、神様と共にいるこの幸いを求め続けたいと願わさ
れました。




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