瞬時の回心 「彼はいたんだ葦を折ることもなく」(イザヤ書42:3、マタイ12:20) 突然の回心というのを信じない人々がいます。しかし誰でももし新約聖書の中に瞬時のも のでない回心を示すことの出来る人がいるというなら、私は受けて立ちたいと思います。「イエ スは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、『わたし について来なさい。』と言われた。すると彼は立ち上がって従った」(マルコ2:14)。これより突然 のことは他にありません。 取税人ザアカイはイエスを見たいと思いましたが、背が低かったので木に登りました。イエス がそこに来られた時、上を見上げてザアカイをご覧になって言われました「ザアカイ。急いで降 りて来なさい」(ルカ19:5)。彼の回心は木の枝と地上の間のどこかで起こったに違いありませ ん。彼は喜んで主をお迎えしたことが記されています。そして彼は言いました「主よ。ご覧くださ い。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、 四倍にして返します」(ルカ19:8)。今日では回心の証しにこのように言える人は稀です。 コルネリオの一族は突然回心しました。ペテロが彼と彼と共にいた人々にキリストを宣べ伝え ると、聖霊が彼らに下り彼らはバプテスマを受けました(使徒の働き10章)。 ペンテコステの日には三千人が喜んで御言葉を受け入れました。彼らは回心しただけでな く、その日にバプテスマを受けたのです(使徒の働き2章)。 さらにピリポが旅の道すがら宦官に御言葉を語ったとき、宦官はピリポに言いました。「ご覧 なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか」妨げる ものは何もありませんでした。そしてピリポは言いました。「もしあなたが心底から信じるなら ば、よいのです」そして二人は水の中へ降りて行き、そのエチオピアの女王カンダケの高官は バプテスマを受け、喜びながら旅を続けて行きました(使徒8:26〜38)。聖書全体を通して回心 は突然で瞬時であることが見出されるでしょう。 雇い主から金を盗む癖のある人がいたとします。例えば彼が一年の間にトータルで千ドル盗 んだとします。私たちは彼に次の年には五百ドルにしなさいと言うべきでしょうか。そして年々 少しずつ減らして五年後には一年に総額五十ドルだけ盗るようにしなさいとでも言うでしょう か。これが徐々に回心するというのと同じ原則に基づいているのです。もしそのような人が法 廷に引き出されて、生き方を一度にすべて変えることが出来なかったという理由で無罪とされ るとしたなら、それは非常におかしな処分だと言えるのではないでしょうか。
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