「同労者」第49号(2003年11月)            目次に戻る     表紙に戻る

聖書研究
仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会 1982.7.20 から
救いに関する聖書の教え (3)

仙台聖泉キリスト教会   野澤 睦雄


「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪
から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)


<キリストの贖いの業における復活の意義
 以下の聖書の引用箇所をよく読んで見ましょう。そうすれば、使徒の時から今に至るまで、キ
リストを信じる人々の間で主の復活が大切に取り扱われてきた理由が分かります。

・パウロが、イエス・キリストを述べ伝えるに当たって中心的なテーマとしたことは、キリストが私
たちの罪のために死なれたことと復活されたことでした。
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、ま
た、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現
われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の
大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリスト
はヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして、最後に、月足らずで生ま
れた者と同様な私にも、現われてくださいました。」(使徒15:3〜8)

・もしキリストが復活されなかったら、信者は罪のなかにいる、つまり救いは実現していないとい
うことになります。
「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もな
お、自分の罪の中にいるのです。」(コリントT15:17)

・キリストが祭司の務めをしてくださることの保証です。
「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておら
れます。」(ヘブル7:24)

・復活されて祭司の務めをしてくださるキリストがおられることが、救いが私たちに与えられる
保証です。人はキリストのとりなしなしに裁きを免れることはありえません。
「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリ
スト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ8:34)

・キリストの復活は私たちの復活の保証です。
「もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。」(コリントT15:13)
「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(コリントT15:20)

・やがてキリストの審判の日がくることの保証です。
「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決め
ておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの
確証をすべての人にお与えになったのです。」(使徒17:31)

・復活されたキリストの祭司職は、メルキゼデクという人物で象徴的に示されています。メルキ
ゼデクとは「義の王」という意味で、サレムの王でした。サレムとは平和という意味ですから、メ
ルキゼデクは「義の王であり平和の王(君)」です。
「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者
とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキ
ゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」(ヘブル5:8〜10)

 要約して述べますと、キリストの死は罪人が義と認められる(神に罪を赦される)ための「法
的な根拠」であり、キリストの復活はその「実現に関する根拠」なのです。
 復活されたキリストの姿は、私たちが復活に与ったときどのような体であるかをも示していま
す。復活は、この世に再び蘇生するようなものではありません。私たちが復活したときに与えら
れる体は、今の私たちの体と形は同じでしょうが、それは霊の体であって地上のものではあり
ません。
 罪が赦されただけでなく、天国に迎えいれられ、復活の体を与えられて永遠のいのちに生か
せていただくことが、私たちの救いの完成です。
 地上の体が復活の体すなわち霊の体に変えられることは「栄化(えいか)」と呼ばれていま
す。(以下次号)



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