「同労者」第50号(2003年12月)            目次に戻る     表紙に戻る

一度は原書を読みたい本

− キリスト者の完全 (4) −

 「その日、・・罪と汚れを清める一つの泉が開かれる。」(ゼカリヤ書13:1)
(訳文はたたき台です。気づいた誤訳やよりよい表現がありましたら、お知らせ下さい。 ・・ 
編集委員)

9.
In 1739, my brother and I published a volume of "
Hymns and Sacred Poems." 

In many of these we declared our sentiments strongly 
and explicitly.

So, page 24, --
  Turn the fall stream of nature's tide; 註1
  Let all our actions tend 
  To Thee, their source; Thy love the guide, 
  Thy glory be the end.

  Earth then a scale to heaven shall be; 
  Sense shall point out the road;
  The creatures all shall lead to Thee, 
  And all we taste be God.
 
 
Again, -- 
  Lord, arm me with Thy Spirit's might,
   Since I am call'd by thy great name 
   In thee my wand'ring thoughts unite, 
   Of all my works be Thou the aim; 
   Thy love attend me all my days, 
   And my sole business be Thy praise.
                     (Page 122.)
 
 
 
 
 

 Again, -- 
   Eager for Thee I ask and pant, 
   So strong the principle Divine,
   Carries me out with sweet constraint,
   Till all my hallow'd soul be Thine; 
   Plunged in the Godhead's deepest sea,
   And lost in Thine immensity!
                     (Page 125.) 
 
 
 Once more, --
   Heavenly Adam, life Divine, 
   Change my nature into Thine; 
   Move and spread throughout my soul, 
   Actuate and fill the whole.
                    (Page 153.) 
 
 It would be easy to cite many more passages to the 
same effect.

But these are sufficient to show, beyond contradiction, 
what our sentiments then were.
 
 9.
1739年に、私は弟と『讃美歌と聖詩集』という一書
を刊行した。

これらの詩の多くの中に、私たちは強く明確に私た
ちの思想を発表した。

すなわち、24ページで−−
  生まれつきの傾向性という堕落の流れを変えて 
                            註2
  私たちのすべての行為をその源であるあなたに
                   向けさせてください。
  あなたの愛が導き手であり、
  あなたの栄光が目的でありますように。
  そのとき地は天の御国への登り道となるでしょう。
  思慮はその道を指し示し、
  造られたものはすべてあなたへ導くものとなり、
  私たちはすべてはおいて神経験をするでしょう。
                            註3
再び、−− 
   主よ、私をあなたの聖霊の力で武装させて
                         下さい。
  私は、あなたの偉大なみ名によって召された
                      のですから、
   あなたの内に私のさまよう思いが一つにされ、
   私のすべての働きはあなたの御心に沿うもの
                    となりますように。
   あなたの愛が私のすべての日々に伴い、
   私の魂のなす仕事はただあなたを褒め称える
                 ことでありますように。
                      (122ページ)

再び、−− 
   熱烈に私はあなたをたずねあえいでいます。
   非常に強い神のご意志で、
   愛の綱を持って私を牽いて下さい、
   私の潔められた魂が、すべてあなたのものと
                         なるまで。
   神性の最も深い海に沈めて、
   あなたの無限のうちにすべてが失われますよ
                            うに。
                    (125ページ)

もう一つ−− 
   天のアダムよ、聖なるいのちよ、 
   私の生まれつきの性質をあなたの内に造り
                           変え、
   私のたましいに入り拡がり、
   働いて私のすべてを満たしますように。     
                    (153ページ)
同じ主旨のもっとずっと多くの節を引用することは容
易である。

けれどもこれらは、反論に対して私たちの意見が何で
あったか充分に示している。
 

註1 ある書にはTurn the fall stream of nature's tide;となっていますが、ほかに、
   Turn the full stream of nature's tide;となっているものがありました。どちら
   が正しいか決定できませんが、fall と見なして翻訳してみました。

註2 fall stream であれば、「堕落の流れ」、full stream であれば、「満ちた流れ、
   激しい流れ」ということになりますが、ウェスレーの言いたいことは、・・生まれつ
   きの罪の流れを変えたい・・と言うことであろうと推測します。

註3 直訳は「私たちが味わうものすべては神でしょう。」となりますが、「神を味わ
   う」というよりも、「神経験をする」と言う方が、私たちの語感とあっていると思
   います。

 最近流行っている賛美歌と呼ばれるものの多くに、世の歌と同様、感情に訴えることが主体
で、歌い上げている内容を突き詰めて見ると、何を言いたいのか理解しがたいものがありま
す。あるいは、そこに神経験が存在せず、自分が神とどのような関係をもったために神を讃美
しているか明らかでないものが多くあります。賛美歌集一冊全部を見ても、「罪」という文字が
わずか2つしかでていなかったものもありました。子供だけが歌うのであればそれもよいでしょ
うが、救われ、罪を赦されるすばらしさを味わったものとして、このような歌がはやり、霊の歌が
歌われなくなることに寂しさを覚えます。
 ウェスレーは、賛美歌に自分の信じる信仰の経験、何を信じ、なぜ信じ、その内容はどのよう
なものであるかを示したことが分かります。
 彼がこれらの詩に取り上げた主題は、原罪すなわち生まれつきの罪の性質でした。神がそ
の力あるみ手をもって、それを取り除き、魂のうちに聖霊が満ちて下さり、自分の心情と行い
が、神と人への愛のみであることを求めていることが分かります。彼はその求めるものを得た
のです。
 「だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」




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