「同労者」第50号(2003年12月)              目次に戻る      表紙に戻る

ショートコラム ねだ

 − デッサン  −


 学校で勉強させられたことはいろいろあるが、"図画"はとりわけ苦手であった。自分でも気
に入った絵が描けないのである。殊に人の顔を描くのが嫌であった。なぜか!本物の顔と自
分の描いた顔があまりにも違うし、グロテスクに見えてくるからである。幼稚園や小学校など
で、子供の絵画が展示してあるが、あの絵の感覚になじめなかった。今みればそれなりに見る
ことができるのであるが、自分がその年齢のときには、それでよいと思えなかったのである。
 そう思えなかったら、気に入った絵が描けるように努力をすればよかったのであろうが、そう
はいかない。気に入ったように描けないから遠ざかる。遠ざかるからますます描けない。周りの
連中つまり一緒にいる生徒たちほどにも描けない。その授業を休まないから落ちこぼれとまで
はいかないで済んだが、まあしかたなしにその授業にいたわけである。

 小学校5年生くらいのときだったが、自分の左手を描くというテーマが与えられた。まず、鉛
筆で下絵を描きそれに色を塗るというものであった。
 鉛筆でのデッサンがそのときは珍しく上手く描けた。いわゆる木炭画であるがいきいきとして
見えた。珍しく・・であるが故に自分ですっかり気に入った。それで次の段階である、水彩絵の
具で色を塗りたくなくなった。先生がくり返し"色をぬりなさい"といったが、とうとう色を塗らずに
提出した。
 結果、ただでさえ芳しくない図工の成績は、さらに落ち込んだ。よっぽど小憎らしい小僧だと
先生の目に映ったらしい。だが当の本人はへっちゃらであった。気に入った絵が描けたのだか
ら・・。

 先生には悪いが、思い出して愉快なのである。
世に落ちこぼれといわれている子供・・今は子供だけでなく大人にも広がったが・・に、こんな経
験をさせたいものだ。きっと彼らの"人生が開ける"に違いない。

 「持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げ
られてしまうからです。」(マタイ13:12)とイエスは言われたが、勉強の世界もそのようである。得意
なところはますますよくなり、不得意なものはますます悪くなる。しかしひょんなことから、そのう
まくいかないことが逆転ホームランの種となり、道が開けることもある。

 福音の世界でも、"福音人生が開ける"ような経験をさせていただきたいものである。




トップへ
トップへ
戻る
戻る