ショートコラム ねだ
学校で勉強させられたことはいろいろあるが、"図画"はとりわけ苦手であった。自分でも気
に入った絵が描けないのである。殊に人の顔を描くのが嫌であった。なぜか!本物の顔と自 分の描いた顔があまりにも違うし、グロテスクに見えてくるからである。幼稚園や小学校など で、子供の絵画が展示してあるが、あの絵の感覚になじめなかった。今みればそれなりに見る ことができるのであるが、自分がその年齢のときには、それでよいと思えなかったのである。
そう思えなかったら、気に入った絵が描けるように努力をすればよかったのであろうが、そう
はいかない。気に入ったように描けないから遠ざかる。遠ざかるからますます描けない。周りの 連中つまり一緒にいる生徒たちほどにも描けない。その授業を休まないから落ちこぼれとまで はいかないで済んだが、まあしかたなしにその授業にいたわけである。
小学校5年生くらいのときだったが、自分の左手を描くというテーマが与えられた。まず、鉛
筆で下絵を描きそれに色を塗るというものであった。
鉛筆でのデッサンがそのときは珍しく上手く描けた。いわゆる木炭画であるがいきいきとして
見えた。珍しく・・であるが故に自分ですっかり気に入った。それで次の段階である、水彩絵の 具で色を塗りたくなくなった。先生がくり返し"色をぬりなさい"といったが、とうとう色を塗らずに 提出した。
結果、ただでさえ芳しくない図工の成績は、さらに落ち込んだ。よっぽど小憎らしい小僧だと
先生の目に映ったらしい。だが当の本人はへっちゃらであった。気に入った絵が描けたのだか ら・・。
先生には悪いが、思い出して愉快なのである。
世に落ちこぼれといわれている子供・・今は子供だけでなく大人にも広がったが・・に、こんな経
験をさせたいものだ。きっと彼らの"人生が開ける"に違いない。
「持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げ
られてしまうからです。」(マタイ13:12)とイエスは言われたが、勉強の世界もそのようである。得意 なところはますますよくなり、不得意なものはますます悪くなる。しかしひょんなことから、そのう まくいかないことが逆転ホームランの種となり、道が開けることもある。
福音の世界でも、"福音人生が開ける"ような経験をさせていただきたいものである。
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