「同労者」第51号(2004年1月)              目次に戻る      表紙に戻る

聖書講義

昨日のサムエル記 
(その30)
仙台聖泉キリスト教会  牧師 山本 嘉納


 ダビデは末っ子であった。「ダビデはユダのベツレヘムのエフラテ人でエッサイという名の人
の息子であった。エッサイには八人の息子がいた。」(サムエル記T17:12)同じ母親から8人生ま
れたかどうかは疑問だが生まれる順番は少なからずその子供の育ちに影響する。特に末っ子
となると何かと付いて回る称号である。今の時代、子供を儲けるとすれば3人がせいぜいで4
人ともなればなかなかなものである。つい先日ある人の生涯を記した記念集をいただいたが
娘6人を儲けたと書かれていた。全てがクリスチャンとなったことを付け加えておこう。子供の
数は多くなればそれだけ経済的負担は多くなる。独立させるまでどの位のお金が平均的にか
かるかが計算され公表されている。自らの年収から計算して何人の子供を儲けることが出来
るかである。しかし、人生計算どおり行かないのも常である。前回に引き続きダビデの片腕で
あったヨアブを取り上げようとしている。彼はダビデの姉ツェルヤの息子である。すなわち彼の
甥っ子にあたる。彼の姉ツェルヤは早くにご主人を亡くし子供たちを連れて実家に戻ってきて
いたのかもしれない。そんなわけで、にぎやかな家族の不思議な現象として自分の甥っ子とそ
んなに年齢の違わない同世代として育つということは起こってくる。彼にとって年齢や世代の違
う兄たちよりも身近な存在だったに違いない。
私達の教会も二代目三代目のクリスチャンとして生まれた時からその中で共に育ってきた。神
を信ずる兄弟姉妹というだけでなく色々な事を小さい時から共にやって来た仲というのは気心
も知れて、またよきライバルとして掛け替えのない友となるものである。長い係わり合いは集団
の役回りというか立場を決めて行く。私は牧師の子だったのでよく言えばまとめ役だが、その
実はガキ大将であった。時々集まると昔の話になる。ある年の8月の日曜日、午後から野球の
試合をして伝道集会が休みなのでみんなで近くの海辺に出かけた。日が長い季節とはいえ夜
の7時ともなれば薄暗くなってくる。誰もいなくなった海水浴場で手をつないで泳いだことがあっ
た。今、考えると危ないことをやっていたものである。その他、赤面するような話もお互い様で
ある。
ダビデとヨアブもそんな仲間として成長しイスラエル王国の王と将軍になっていったのである。
良きにつけ悪しきにつけ一致団結すれば一人では出来ないことが不思議と出来てしまう。相手
が何を考えているかがうすうす分かるので物事効率よく運んで失敗も少ない。お互いの欠点を
カバーしあう立ち回りは信頼の確立に時間はかからなかった。こうして、お互い欠くべからざる
存在となるのは至極当然だったのかもしれない。しかも頭角を少しずつ現し始めたダビデのそ
ばにいれば自らの将来も切り開くことが出来ると考え、行動を共にしたのである。勿論、サウ
ル王に追われた時もダビデと一緒に流浪の生活をしたことがヨアブの弟アビシャイの登場の記
事で察することが出来る。前回書いたようにダビデがユダの王になった時にヨアブの名が聖書
に登場し、それは軍団の長としての地位であった。
ヨアブの話を少し置いておいて、ダビデが創設したイスラエル軍について書いてみる。今もそう
だが国家の長には、その国の軍の長としての責任がある。国防がその目的だが積極的な国
防として隣国への侵攻も当然あった。ダビデの前の王サウルは、2種類の軍を持った。一つは
常備軍、王直属の護衛軍などそれを仕事としていた者たちの集団である。まだ国家予算など
立てられるほどまとまっていない時代であるから自腹で彼はこれらの軍を養っていたのであ
る。そしてもう一つは、いざ全面戦争となった時に出兵の要請に応える一般市民からなる義勇
兵団である。自国、すなわち愛する者を自分の手で守るという考えは当然であり、命を懸けて
戦う姿勢は同等のレベルでの戦いに充分通用するものであった。士師の時代から彼らはその
ようにして代表者の呼びかけに応じ戦争に望んだ。しかし、ペリシテ軍という新しい文明を持っ
た国との戦いには専門に訓練した兵団がどうしても必要になるのである。前記の二つの軍団
に加えダビデは外人傭兵部隊を持ち、常備軍の層を厚くした。彼の歴史の中で戦争の数が多
くなるにつれ、それぞれの兵団の兵員数は増えていった。彼らの雇用には敗戦国からの貢物
や国の豊かな貿易による収益が当てられ農耕、遊牧民としての生活よりも軍隊に身を投じて
得る収入のほうが多かったに違いない。ダビデの政治は日本の戦国時代と似て戦利品が恩
賞として用いられ人々が進んで戦いに望み、ダビデを王とした。イスラエルの神がダビデを王と
したのは当然だがどのように王であり続けるかは、まだその者の力量に負うところが多かった
のである。その意味でダビデの後半生、アブシャロムの謀反あたりは平和が国民の心をダビ
デから離していた。時代の大国のように侵略戦争を続けるわけにも行かず、敗戦国の貢物も
貿易による収益も彼に許されなかった神殿建設のために蓄えられていった。民にとってはどう
してもダビデでなければならないということもなくなっていった。憎しみを持ってアブシャロムが
民の心を盗んだのはそんな背景も絡んでいる。
話をヨアブに戻すと彼の最終的地位はイスラエル軍の長である。当初、彼は護衛隊、いわゆる
親衛隊の長であった。しかし、彼の望んだ出世によってその地位はベナヤに移された(サムエル
記U23:23)。外人部隊の長ももともとベナヤだった。全軍の長になったはずがアブシャロムの
謀反でイスラエルの義勇兵たちが敵側に着いてしまったのでヨアブには直接指揮する軍がなく
なっていた。孤立の軍団長ヨアブだがダビデも孤立した王であった。ダビデの復権は自らの復
権に繋がることを知っていたヨアブの戦いはアブシャロム一人に向けられた。赦せと言うダビ
デの甘さはヨアブに尚一層アブシャロムを亡き者にしなければならないことを決意させた。ダビ
デはこの戦いの勝利の後、上手に民心を戻すためにアブシャロムが据えた軍団長アマサをそ
のままその地位に留め、謀反に加担したものに寛大な処置をすることを印象付けようとした。
結果は次のシェバの乱(サムエル記U20章)の戦いのドサクサに、またしてもヨアブはこのアマサ
を殺し軍団長に返り咲いた。前にも同じようなことがあった。サウルの将軍アブネルに対してダ
ビデは彼を裁かず協調して自らの立場を確立しようとした。結果、ヨアブによってアブネルは暗
殺された。アブシャロムもそうであるしアマサもそうである。ダビデは承知して危険人物の葬り
をその片腕ヨアブにさせたのか。どこまでもヨアブの野心がそれをさせたのか。ヨアブにはダビ
デを押しのけるほどの野心はなかった。ダビデあっての自らであることを彼は知っていた。ダビ
デもまたそれを承知でヨアブと共に政治を行って来たのである。是非に関心が行きやすいがそ
れよりも本当の男の駆け引きに責任の重さと神の配剤の妙を覚えたほうがその確立に意味が
ある。神の愛も義も聖きも平和な穏やかな関係の中にしか確立しないと考える愚かを捨て去る
ことが出来る。世に迎合して二枚舌を使うクリスチャンになるよりも信仰を持った命がけの駆け
引きのほうがその完成に有効か知れない。「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者
は、わたしにふさわしい者ではありません。」(マタイ10:38)



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