巻頭言 教会学校といえば高校生の時からずっと野澤兄弟の担当するクラスで学んで来ました。とて も熱心で涙を流しながら語っておられた先生の姿がいつもありました。この教会学校での学び は、その時間だけでなく、その後にある礼拝に備える大切な時間であり、礼拝のメッセージに 結び合わせ、理解を助けて下さる為の学びでありました。そのことを知ることが出来たのは私 も教会学校の教師になってからです。 私が20代半ばになった時、私と同世代の人達が多くなったことから、新しく青年科(高校卒 業から結婚するまでの男女)のクラスが作られ、その時はじめてそのクラスの教師になりまし た。同世代の人達だったことから先生と生徒というよりも一緒に勉強したり、一週間あったそれ ぞれの出来事を話しあったりしながら、楽しい笑いの時もありながらスタートした青年科でし た。 その後小学校のクラスを担当することになり、自分の子供と同じ年頃の生徒をあずかってき ました。 そして昨年私が40才になって、もう一度青年科を受け持つことになりました。小・中・高校生 科と違い、年の開きの大きいこのクラスの中で彼らの抱えている問題は就職や病とのたたか い、又結婚など、どの人をとってもとても大切な時期にいる方々で、その問題・課題を知るとき に、彼等と同じころの自分を思い返しながら、その年令の時にどのようにクリアーしてきたか、 又多くの失敗をしながら歩んできたかを思い出しながら、どのように教えてあげたならばよいだ ろうかと考えます。けれどもそれぞれが違う環境にある人達のどこに焦点を合わせていけばよ いのだろうかと悩みます。20代の頃は教会学校の時間だけではなく、教会生活を共にする中 で生徒たちと多くの交わりをもって来ましたが、今はその時間も限られています。 その中で示されることは、中心はいつも聖書であり、その導かれたみことばを大切に用いて いくことです。その御言葉の中にある神様のあわれみや恵み、そして変わらない約束を信じて 語っていきたく願います。 そしてこのクラスでの私の願いは、私が長い間学ばせていただいてきた兄弟のクラスで教え られたように、礼拝と礼拝のメッセージにつながることの出来る学びをこの青年科の中で持た せていただくことです。 冒頭の御言葉は、今年与えられたみことばです。
|