ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開 してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。 質問の送付先は巻末にあります。 先月の質問の回答例(作成者:野澤) R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ いての説明を続けます。 <イエス・キリストの品性> 3.2 イエス・キリストの愛は人々にどのように顕わされたのか?(つづき) (6)羊の群に対するイエス・キリストの愛は、彼が群の羊の各々に対して持っておられる優しい 注意によって顕わされている。 「彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知って いるので、彼について行きます。」(ヨハネ10:4) 「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ま せる羊を優しく導く。」(イザヤ40:11) (7)人間に対するイエス・キリストの愛は、彼が自ら私たちの「病を負い」、私たちの「煩いを」引 き受け給うたことによって顕わされている。 「これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。『彼が私たちのわずら いを身に引き受け、私たちの病を背負った。』」(マタイ8:17) (8)人々に対するイエス・キリストの愛は、彼が人々をあわれみ、その病んでいる者を救われた ことによって明らかである。 「イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直 された。」(マタイ14:14) (9)人々に対するイエス・キリストの愛は、彼が群衆を憐れんで、その物質的欠乏を満たされた ことによって明らかである。 「エスは弟子たちを呼び寄せて言われた。『かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしとい っしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途 中で動けなくなるといけないから。』」(マタイ15:32) (10)人々に対するイエス・キリストの愛は、彼が人々を悔い改めに導くため懲らしめ、かつ戒め られたことによって顕わされている。 「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさ い。」(黙示3:19) (11)弟子たちに対するイエス・キリストの愛は、彼が弟子たちを捨てて孤児とせず、「あなたが たのところに帰ってくる」とおっしゃったことによって明らかである。 「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来 るのです。」(ヨハネ14:18) (12)イエス・キリストの愛は、彼が自ら愛しておられた人々の悲しみのために涙を流されたこと によって明らかである。 「そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧にな ると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、言われた。『彼をどこに置きましたか。』彼らはイエ スに言った。『主よ。来てご覧ください。』イエスは涙を流された。」(ヨハネ11:33〜36) 註)イエスはこの悲哀が一時的なものであり、かつ事実の真相を誤解することに基づくもので あるから、これらの悲しみは間もなく大いなる喜びに変化させられるものであることを知ってお られた。しかしこの悲哀は事実であり、かつかれらの実際の悲しみであったから、イエスもご自 身の悲しみとされたのである。 (13)弟子たちに対するイエス・キリストの愛は、彼らが悲しみ憐れみつつある時に、慰安を与え られたことによって顕わされている。 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1) このことがヨハネによる福音書14章全体の目的である。以下の1節および27節を参照する こと。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」「わたし は、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたし があなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりま せん。恐れてはなりません。」 (14)弟子たちに対するイエス・キリストの愛は、彼らのために彼が御自身の平和と自らの喜び とを与えられたことによって明らかである。 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。 わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしては なりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)(以下次号) 今月の質問 来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。 説明について、疑問点がありましたらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致しま す。
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