「同労者」第52号(2004年2月)            目次に戻る     表紙に戻る

聖書研究
仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会 1982.7.20 から
救いに関する聖書の教え (6)

仙台聖泉キリスト教会   野澤 睦雄


「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪
から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)

5.救いによって与えられる事柄
 自分が神と人に対して罪を犯したという自覚を持つことすなわち認罪を与えられ、その罪を
言い表し、イエス・キリストがその罪のために死なれ、甦られて、彼を信じる者を救って下さると
のイエス・キリストのことば、聖書のことばを信じた者は救われます。
 では、救われた人には一体何が起きるのでしょうか。それは必ず起きなければならないので
しょうか。それはむしろ与えられなければならないと表現した方がよいかも知れませんが、その
ような変化がないなら救われていないのでしょうか。
 救われた本人がそれを与えられていることを知らない場合もあります。しかし本当にそれを
持っていないなら救われていないと判断しなければならない事柄と、与えられれば幸いです
が、それがなくても救われている事柄とがあります。それらの事柄を取り上げて整理しておきた
いと思います。
 救われているということは、死んだ後あるいはご再臨のイエスにお会いしたとき、天国に入れ
ていただける第一関門であって、キリスト教に入信したものにとって決定的に重要な事柄です。
これは、イエスを信じるすべての人に与えられるものです。
 救われた信者には以下の3つのことが与えられます。これは必須の事柄であって、もしそれ
が欠けているなら、救われているとは言えません。
 ・罪の赦し
   これは義認(ぎにん)、
   あるいは称義(しょうぎ)とも呼ばれます。
 ・新生
 ・聖霊が心に住んでくださること
  これを聖霊の内住(ないじゅう)と呼んでいます。但し、ここにいう聖霊の内住は、潔めと呼
ばれている第二の転機の後の聖霊の内住と区別しておく必要があります。
 一方、聖霊の賜物と呼ばれている内容のことがあります。これはたくさんの種類があります
が、ある人にはあるもの与えられ、また別の人には別の賜物が与えられるのであって、それを
与えられているか否かは、天国に入れていただけれるか否かを決定するものではありませ
ん。

5.1 罪の赦し、義認、称義
・罪が赦される
「そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改
めに基づくバプテスマを説いた。」(ルカ3:3)
「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信
じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け
継がせるためである。」(使徒26:18)
・義と認められる
 義と認められるとは正しい者すなわち罪がなかったものとみなされることです。その理由は、
処罰されるべき私たちに代わって、イエス・キリストが既に処罰されたので、もう処罰すべき罪
は残されていないということを意味します。
「私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみな
されるのです。」(ローマ4:23〜25)
「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているの
です。これは神の豊かな恵みによることです。」(エペソ1:7)
・神との和解、神との平和が与えられる
 罪を犯すと言うことは、神に従わず神に敵対していることなのです。ですから、私たちは罪を
赦された時、神と和解することが許され、神との間に平和が与えられるのです。以下のみこと
ばをよく考察してみましょう。
「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持
っています。」(ローマ5:1)
「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私た
ちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。そればかりでなく、私た
ちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは
神を大いに喜んでいるのです。」(ローマ5:10〜11)
「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和
解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、
この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たち
にゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私た
ちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。
神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それ
は、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(コリントU5:18〜21)
「また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字
架によって葬り去られました。」(エペソ2:16)
「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださった
からです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」(コ
ロサイ1:20)
(以下次号)




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