巻頭言 母が召されてから1年が経ちました。私を取り巻く環境も大きく変わり、長男夫婦、孫と同居、 そして次男は一人暮らしと歩んで参りました。何年ぶりかで外に働きに出るようにもなりまし た。一つ一つが神の導きと信じ、新たなる決意を持たせていただきながら歩んでいることでは ありますが、自分にかかわる新しい展開の中に避けられない課題も起こってきました。又、若 い時の信仰の足りなさというか、物事に対して安易な者だった自分を思わせられながら、この ように欠けたところを、今、現実に、刈り取りをしていかなければならない事柄も見え始めてい ることです。どうしたら、この自分にかかわってくる課題を良い方向へともって行くことができる のでしょうか。・・。 私はどちらかというと課題をかかえ続けてゆくということが苦手な方です。それよりは一件落着 として次へ進む方が心がすっきりするというか、安心なのです。しかし、今このところに立たせ られて、神様が私に求めている事は何か、どういう者であって欲しいと願っているか、神の御心 が示される思いです。 こんな時、一つの讃美歌が心に入ってきました。・・思案せずに何事をも・・イェスに話せ、イェ スに話せ、イェースに話せよ――と口ずさんでいるうちに少し心が軽くなってきました。 救われて何年と信仰の道を歩んでいる者ではありますけれど、そして一つ一つの事柄の中に 神の導きを信じて歩んで参りました。しかし、自分の傾向性というかがんばりで、きていることも 多くありました。昨年講壇よりなされたメッセージの中に心の主座をイエス・キリストに明け渡す ことがしきりと語られたことを思い出します。この事がどういうことなのか少し見え始めてきまし た。これからは自らのがんばりを減らしてイエス・キリストに心の主座を明け渡してゆく方向に 自分を持っていきたいと願っています。それから年令を重ねてくるうちに、いかに自分の心がま わりに揺り動かされやすいものであるかということも、思い知らされているものです。なおのこ と、信仰に元気をもらうためにも、この方(イエス・キリスト)から目をそらしてはならないと畏れ ることです。主を待ち望みつつ一足、一足、歩ませていただきたいと願っています。
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