「同労者」第53号(2004年3月)                 目次に戻る  表紙に戻る 

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。
質問の送付先は巻末にあります。

 先月の質問の回答例(作成者:野澤)
 R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ
いての説明を続けます。

<イエス・キリストの品性>
3.2 イエス・キリストの愛は人々にどのように顕わされたのか(つづき)
(15)人々に対するイエス・キリストの愛は、彼らの心の頑固なことを憂いなさったことによって明
らかである。
「イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、『手を伸ばしな
さい。』と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。」(マルコ3:5)
(16)イエス・キリストの自らの弟子と敵とに対する愛は、彼らの為の祈りによって顕わされてい
る。これは愛の最も大切な表現と言うべきである。
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあ
なたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)
「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるように
お願いします。」(ヨハネ17:15)
「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自
分でわからないのです。』彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。」(ルカ23:34)
(17)疑う人々に対するイエス・キリストの愛は、不合理で許し難い頑固な疑いにも忍耐をもって
取り扱われたことによって顕わされている。
「すると、イエスは言われた。『なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのです
か。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。
霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。』」(ルカ24:38〜39)
「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにい
なかった。それで、ほかの弟子たちが彼に『私たちは主を見た。』と言った。しかし、トマスは彼
らに『私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに
差し入れてみなければ、決して信じません。』と言った。八日後に、弟子たちはまた室内にお
り、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平
安があなたがたにあるように。」と言われた。それからトマスに言われた。『あなたの指をここに
つけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者に
ならないで、信じる者になりなさい。』・・イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信
じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』」(ヨハネ20:24〜29)
(18)信仰の弱い弟子に対するイエス・キリストの愛は、悲しむべき罪と背教に走った者でさえも
忍耐強く、かつ優しい心をもって取り扱い給うたことによって顕わされている。
「ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれま
す。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」(マルコ16:7)
(19)信じる者に対するイエス・キリストの愛は、すべての苦悩に勝ちえてあまりある勝利を彼ら
に与え給うことによって顕わされている。
「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、
圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)
(20)イエス・キリストの愛は、彼が@他人の悲哀に同情することによって、ご自身の恐るべき苦
痛をも忘れ給うたこと、A彼の聖業を自らの愛し給うた者に委ねられたことによって顕わされて
いる。主がご自身の最も神聖な責任者を委ね給うた人というのは、彼の愛してい給うた弟子を
指すのであった。
「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『女の方。そこに、あなたの息子
がいます。』と言われた。それからその弟子に『そこに、あなたの母がいます。』と言われた。そ
の時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。」(ヨハネ19:26〜27)
(21)人々に対するイエス・キリストの愛は、主が彼らに対し最も低くて卑しい奉仕をなし給うたこ
とによって顕わされている。
「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られ
たので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
・・イエスは・・、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき
始められた。」(ヨハネ13:1〜5)



今月の質問
来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。
説明について、疑問点がありましたらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致しま
す。



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