「同労者」第53号(2004年3月)                  目次に戻る    表紙に戻る

論説
 ― 連合総会に望む ―

  今月末には例年通り、私たちの所属する聖泉連合の今年度の活動の方向を決める大切な
総会と、各教会の信者が集まって聖会をもつことが予定されています。かつてはイスラエルの
人々が一年に3回エルサレムに集まって祭り、すなわち大きな礼拝である聖会をもっていたよ
うに、私たちも一年に3回持たれていた聖会が、2回に減っていることは残念なことです。回数
が減ったのですからなお一層励んで共に集まろうではありませんか。
 以前も同じことを書いたと思いますが、私の所属するある学会の総会が年寄りばかりで持た
れ、若い人の姿がなくなっていました。それを見て私はこの学会の働きは早晩終わりになると
感じました。連合の総会議事会も代議員は年輩者で占められ、若い方が少ないし、かつてたく
さん来ていた傍聴者は全くいなくなりましたから、なんとか若い方々も集まってくるような、総会
にしたいものです。関心をもって人が集まってくる時はじめてその組織は活性化されるに違い
ありませんから、人が集まらない状態が続くとその組織は衰退をまぬがれえませんから。
 人が集まってくるのは、やはり出席したとき、俗な言い方をすると"面白い"からであると思い
ます。興味をよぶ資料はないものでしょうか。議論が巻き起こるような提案がないものでしょう
か。
 面白いと感じるためには、そこで議論がなされる必要があると思います。そのためには何と
かその議題を求める必要が出てきます。六部委員会のテーマを委員会ごとだけでなく全体で
論じる時間を持つのも一つで、その時間を多くし、従来通りの殆ど議論の余地のない年度計
画、経済の収支報告、予算の承認といった議題には時間をとらないようにするのも工夫のひと
つではないでしょうか。そのような内容は教役者の先生方に決めていただいて問題ないのでは
ありませんか。ぜひ議論のおきる種をさがし、そちらに時間を割きたいものです。
 この世では"沈黙は金"などと言われますが、福音の働きにおいては、"沈黙は沼"(エゼキエル
47:11)です。与えられた恵みは、ことばと行動によって次に伝えられなかったなら、川の流れと
は言えないからです。誰かの述べていることが、間違いだと思ったら、バプテスマのヨハネがヘ
ロデが兄弟の妻を娶ったことに反対したように堂々と反対すればよいのですし、賛成ならアー
メンと賛意を表すべきです。
 意見が合わない場合には、ベレアの人々がパウロの語ることが本当であるか否かを確認す
るために日々聖書を調べたように(使徒17:11)私たちも最後は聖書を調べて決着をつけること
にしようではありませんか。ベレヤの人々はそのようにしたために、祝福されました。
 聖会には神の特別なお働きがあります。それを期待しようではありませんか。
 


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