「同労者」第53号(2004年3月)            目次に戻る     表紙に戻る

聖書研究
仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会 1982.7.20 から
救いに関する聖書の教え (7)

仙台聖泉キリスト教会   野澤 睦雄


「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪
から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)

5.2 新生
・新しい霊的ないのちが与えられる
 人間は罪のなかに生まれ、生まれつきのままでは、霊的には死んだものです。死者はこの世
では存在しないものとされます。
新生は正しく新しく生まれることであって、霊的ないのちを与えられます。新しく生まれること
が、神の国に所属する者となる条件です。
「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなけれ
ば、神の国を見ることはできません。』ニコデモは言った。『人は、老年になっていて、どのよう
にして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょう
か。』イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生
まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によ
って生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったこと
を不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それ
がどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。』」
(ヨハネ3:3〜8)
 このニコデモがイエスに面会し、教えられた記事を注意して読むと、新しく生まれることが、神
の国・天国に所属し神の国に関することを理解することのできる条件であること、それは聖霊
がしてくださることであることが分かります。
・神の子として扱われる
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる
特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもな
く、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12〜13)
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」(ローマ8:14)
「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいま
す。」(ローマ8:16)
「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受
けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人も
ギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみ
な、キリスト・イエスにあって、一つだからです。しあなたがたがキリストのものであれば、それ
によってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」(ガラテヤ3:26〜29)
「私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父
はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知
らないからです。愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。」(ヨハネT3:1〜2)
「だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪のうちを歩みません。罪のうちを歩む者はだれも、
キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけま
せん。義を行なう者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。罪のうちを歩む
者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたの
は、悪魔のしわざを打ちこわすためです。だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みませ
ん。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたの
で、罪のうちを歩むことができないのです。そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの
区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛
さない者もそうです。」(ヨハネT3:6〜10)
 新生を与えられたものが神の子どもです。神の子供たちは、イエス・キリストに倣って罪のう
ちを歩みません。神の子供たちは天国の相続人として扱われます。それが、神が父であられ、
その子としての特権だからです。
・霊的に更新される
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、
見よ、すべてが新しくなりました。」(コリントU5:17)
「私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷
になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。しかし、私た
ちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわ
ざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私
たちを救ってくださいました。」(テトス3:3〜5)
「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行
く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義
と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(エペソ4:22〜24)
 これらのみことばが示していることは、新生を与えられる以前の人間の姿は、盲目であること
つまり神の国のことを全く理解できず、罪に性質に生きているものであったけれども、新生によ
って変化させられ、新しい人に更新されるのであることです。
(以下次号)





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