「同労者」第53号(2004年3月)                目次に戻る  表紙に戻る

わかふうふわかもん

 − 証人として −

仙台聖泉キリスト教会  山田 行

「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度に
も、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」(テモテT 4:12)


 最近、「メールでなら会話ができるけれど、面と向うとどうしても自分の言いたい事を話すこ
と、会話ができない人たちが多いそうです。」とテレビで伝えていたのを観ました。
私も、よく自分のことを考えると、メールをするしないにかかわらず、きちんと自分の思いとか、
伝えなくてはいけないことを話せているかと言うと、あまり自信がないのです。
会話はしますが、相手にどれだけ伝わっているかを考えるとどうなんだろう?と不安に思うので
す。
私の周りにも必ず「わたし的には」から話す人や、真剣な内容でも、「とか言っちゃって」と最後
は茶化したり、会話にその人の癖があることのほうが気になって、よく内容がわからないことが
あります。
また会話の仕方が強引で、一方的な人もいます。人のことは良くわかるのですが、さて自分
は?
きっと強烈な?癖がありそうです。
会話に大切なことは、声のトーンや表情、身振り手振りなども重要だと思います。
友人に「そんなに気になるならビデオに自分の会話している姿をとって観るのが一番いいんじ
ゃない?」と言われますが、ビデオをとっていると知っていたらきっと私のこと、必死でとり作り
そうですがそれも良い考えだと思います。(恥ずかしくて最後までビデオを観れなさそうですが)
私は自分が人受けするとか、良く見られたいとか言うのではなく、せっかく、イエス キリストの
すばらしい救いを頂いてそれを証しするものとして生活しているのにあまりにも表現の乏しさを
感じるからなのです。きちんと言葉にして人に伝えることの難しさは、教会の中での証のとき、
教会学校の教師としてのお話、日常の多くの人たちとの会話の中に、いろいろな場面でチャン
スが与えられても、うまくいかないほうが多いように感じるからです。年をとればうまくなることの
ように思っていましたが、私のようなものはやはり、きちんと意識して準備をしたり、実践の中で
の訓練を学ぶ必要もあると思いました。
また、私のあこがれる、先輩方や、友人の姿もきちんと見たり、お話を聞いてまねをすることも
有効のように思います。
すばらしい人の近くにいるだけでも良い影響を受けることがはできると思います。
そして、あの人には、何故か、話しかけやすいし、話した後は気分が良い。今度ゆっくり話して
みたいな、もっと、話を聞きたいな、と思われる証人になれるように、祈りつつ、気をつけて歩
みたいと思います。



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