「同労者」第54号(2004年4月)                目次に戻る  表紙に戻る

証詞

 日本ホーリネス教団 白鷹教会  小口 孝之

(この証詞は、2004年2月8日夜の仙台聖泉キリスト教会の伝道会で話された内容を書き留
めたものです。また本文中の( )内は、集会後に聞いた内容を付け加えたものです。・・編集
委員)


 私は中学生の時、友達から教会でバンドをやってるからギターをやってくれないかと誘われ
て、初めて教会に行きました。その友達は両親ともクリスチャンでした。
やがて高校受験の時がきました。進路のこと、家族のこと、恋愛のことなど悩みが多くありまし
た。ミュージシャンになりたかったので、高校には行きたくありませんでした。しかし、親に高校
に行かなければダメと言われて、高校に入りました。
教会には気が向いたときだけ行っていました。教会でバンドをするよりも、山本出先生の話が
面白かったので行きました。ジュニアの会というのがあり、ゴスペルの子供風の歌を先生がギ
ターを持って一緒に歌いました。その際、15分位のショートメッセージがされていたと思います
が、キリスト教には入りたくなかったのであまり注意して聞きませんでした。
でも、出先生に相談しました。「先生。私は人の欠点を見て、笑ってしまうのですが、バチが当
たるでしょうね。」と聞きました。先生は、「大丈夫だ。キリスト教の神様はそんなことでおこらな
いから。」そう出先生に言われ、心がなごみました。それでも信じてゆこうとまでは思いません
でした。
 コンサートのためにバンド練習をするのですが、不思議でならないことがありました。講壇の
ある正面を背にして立って演奏するわけです。それで、「何で神様にケツを向けて演奏して、バ
チが当たらないのですか。」と質問しました。先生は、「小口君がそう思うことを、どうしようもな
い位うれしく思っているのだよ。」と言われました。その頃から"神様を信じてもいいかな・・"と思
うようになりました。
 日本の神社の神はコワイ・・だけだが、キリスト教の神様には心があって、受け入れやすいと
思いました。それで。教会のジュニアの会があるので、土曜日はスケジュールを空けて行くよう
にしました。今度はキリスト教を知りたかったので、意識して聞くようになりました。
 出先生は高校生向けのこととして話されたので、学校でも先生に言われたことをするようにし
ました。すると、皆がやっていても"僕はやらない"ということが起きてきました。それで私は少
数派になりました。まだ聖書を信じたのではありませんでしたが、聖書を信じ、キリスト教を信じ
ている出先生をカッコイイと思いました。今考えると、先生みたいになりたいと思ったのだと思
います。先生のようになりたいのなら、その神髄というべきキリスト教を信じなければなりませ
んでした。それで信じようと思いました。
(私は新聞配達をしていましたが、朝暗いうちに配達して歩かなければなりません。そうしてい
る時、何かの霊というようなものがそこらにいるようで恐ろしく感じていました。そんな中である
朝、「神様。私はあなたを信じます。」ということができました。その後様々なことがありました
が、その時以来、私は神様を信じ続けることができるようになりました。)
 今は聖書を読んでいます。
 皆さんがご存じの通り、ヨハネの福音書の最後のイエス様とペテロのやりとりに、「わたしに
従ってきなさい。」とペテロが言われているところがあります。
山形には6つの教会があって、奥羽教区となっています。これがうまく連携がとれないのです。
いくつかの教会は、夜、ジュニアの集会をしているので、私もそのいくつかに出ようと思いま
す。
「わたしに従ってきなさい。」が私に与えられたみことばだと信じて歩ませて頂いています。



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