巻頭言 ったから、私はあなたにたくさんのものを任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイ25: 21) 「石井さん、3月15日までに巻頭言をお願いします。。」「ドキッ。」 二ヶ月前、係りの兄弟から声がかかりました。決して嫌ではないのですが、どこからどう書いて よいのか見当もつかず、肩にずっしりと重荷とおっくうさがかかって来ます。ですからいつも巻 頭言に限らず、原稿は十分な時間があるにもかかわらず、書き終わるのは締め切り前日の夜 というくり返しです。けれども不思議と出来具合にかかわらず、充実感と神様の恵みをいつも 感じます。 今回は依頼されて数日後、冒頭の聖句が頭に浮かんできました。この所はそんな私に励まし と安心感を与え、同労者第44号の巻頭言に私が書いたマタイ20章1節の所と共に神の平等 の答えに近づくことができると思うのです。 ここで大切なことは、2タラントの人も5タラントの人も主人から全く同じ誉め言葉をいただい ていたことです。そして1タラントの少ない賜物を軽視し、劣等感にこだわったことに対して警告 をしていますが、聖書全体はむしろマルコ12章41節(金持ちの献金)、ルカ12章16節(金持 ちの畑)、ルカ18章18節(富める役人)にあるように、富と能力の豊かな人々の方に警告をし ています。彼らは優越感にこだわり失敗したのです。またここでは与えられたタラントと同じだ けの重荷とか苦難があると考えてもよいと思うのです。5タラントの人は他の人よりも多くの知 恵と労力と時間を費やしたに違いありません。ここに神の平等があるのです。私たちは表面の タラントの量に目を留めがちですが、むしろ重荷とか苦難にどう対応したかに関心を向けるべ きだと思います。 この巻頭言を読んで、私もそうだと思われた兄弟姉妹、勇気を出して「同労者」に投稿されて みてはいかがですか。信仰の輪を広げようではありませんか。神は私たちの原稿の出来具合 でなく、その勇気と努力に豊かに報いを下さいます。 この年と言っても、もう四月ですが、今年度も共に各々与えられた馳せ場を走り抜こうではあ りませんか。与えられたタラントにこだわったり、他人と比較してもタラントは増えないのです。 自分のタラントを用いて、ベストを尽くすなら、その働きの量や出来具合に関係なく、天国で「よ くやった。良い忠実なしもべだ。」と言って神は皆と同じことばで私たちを天国に迎えて下さるで しょう。ここにも神の平等があると思います。 (この原稿は締切25日前に提出しました。)
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