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           ショートコラム ねだ 
           いやあ、先人は面白い表現を考えたものだ。
           
          
          「二階から目薬をさす」もそのひとつ。
           
          
           最近は年末になるとその年の「流行語大賞」などというものが決められて、もて囃(はや)され
           
          る。 
           この語は、今のような目薬ができてからつくられた流行語に違いない。この語がはやった時
           
          に「流行語大賞」なるものがあったら、きっと選ばれたに違いない。 
           さてこれは一体どんな時に使われるのか、この語にお「耳」にかかったことのない方々がピン
           
          とくるようになるため、3択問題のクイズをしよう。 
           では、質問しますぞ。
           
          
          @本当に人を立たせて、二回から目薬をさしてみせる曲芸のこと
           
          
          A回りくどくてじれったいこと。的に当たる見込みが無く効果が期待できないこと
           
          
          B非常に難しく、やりがいのある課題のこと
           
          
           さーて、皆さん、@、A、Bどれにしますかな。
           
          
           ちょっとニュアンスが違う、"できない相談"を表現するのに、――馬を水際まで連れていくこ
           
          とはできても、馬に水を飲ませることはできない。――っちゅうのがありますな。 
           水を飲みたくない馬を水辺に連れて行って水を飲ませるというわけで。だが馬なら簡単、水を
           
          飲みたくなったらすぐ水を飲んでくれる。ところが人間は面倒くさく、なかなかそうはいかない。 本人は水が必要だというし、事態を考えても確かに必要である。だが水を出すとお前なんかか らもらうものか、胸くそ悪いという。 
           知らなければどうということはないが、なまじ、こうすればよいのにと思う解決策を知っている
           
          と困るのだ。まさに「実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。」 (伝道1:18)だ。 
           スポーツを例に取るならば、よいプレーをすることができるようになることは、自分で身につけ
           
          るものだが、よいコーチのことばを聞いて訓練するか否かでその効果に大差が出来る。時間 は無制限にあるのではなく、同一の時間の練習でどれだけ上手くなったかが勝負である。コー チできる者は、アドバイスを聞かない選手に、"あー。じれったい。「二階から目薬をさすよう だ。」"と感じるのだ。 
           神様もそう思っておられることだろう。「恵みをください。恵みをください。」と私たちはいうが、
           
          きっと神様が「じゃー。あげよう。」と働いてくださると、「いやです。」とお断りしているかもしれな いから。 
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