「同労者」第54号(2004年4月)                  目次に戻る    表紙に戻る

論説
 ― 主の受難と復活を覚えよう ―

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、ま
た、聖書に従って三日目によみがえられたこと、・・」(コリントT15:3〜4)


 今年は4月4日がシュロの聖日、そして受難週があって、11日がイースターです。――――
イエスは、エリコでザーカイの家に泊まられたあと、ベタニヤに来られ、マルタとマリアとラザロ
の家に泊まられました。過ぎ越の祭りの6日前でした。それは土曜日、安息日に当たります。
その日の夕食の時に、マリヤはナルドの香油をイエスの頭に注ぎました。
 翌日は日曜日で、イエスはロバの子に乗られてエルサレムに入って行かれました。人々は、
自分の上着やシュロの葉をイエスの通られる道に敷き、ホサナ、ホサナと歓呼をもって歓迎し
ました。その日を私たちはシュロの聖日、パームサンデーと読んでいます。
 その日、神殿に行かれたイエスは、両替人や鳩を売る人々の腰掛けを蹴倒され、商売人た
ちを神殿から追いだし、「わたしの父の家を・・あなたがたは強盗の巣にしている・・」と言われ
ました。そこで病人を癒し、たくさんの教えの話をされました。
 その日はベタニヤに戻られました。翌日もエルサレムに行かれましたが、途中道で空腹を覚
え、イチジクの木があったので実をさがされましたがありませんでした。それでイエスはその木
を呪われました。翌日弟子達はその木が枯れているのを見つけました。イエスはからし種一粒
の信仰があるとこの木にあったようなことや、山に動いて海に入れと命じてもその通りになる
と、弟子たちに"信仰"を教えられました。
 今にも神の国が顕れるかと期待していた人々は、イエスが病人を癒され、説教され、パリサ
イ人たちと議論されるのみであったので失望しました。
 木曜日の夜、弟子達と最期の晩餐を共にされ、弟子達の足を洗って模範を示しながら教えら
れました。最期の晩餐では、イエスは始めてイエスの後に来られる"助け主"について多く語ら
れました。
 その夜眠らずにゲッセマネの園で祈られました。そしてイスカリオテのユダが連れてきた兵隊
たちに捕らえられ、大祭司カヤパのところに連れてゆかれました。そこで、夜が明けないうちに
宗教裁判がありました。夜が明けると群衆が集まり思惑どおりにことを運べなくなることを恐れ
たからでした。その成り行きをヨハネと共に見にカヤパの官邸の庭に行ったペテロは、イエス
を知らないと言ってしまいました。宗教家達は、イエスが自分は神の子である、と言ったことを
神に対する冒涜である、"涜神罪"として死刑を宣告しました。死刑にすることには、ローマの総
督の審判が必要であったため、夜が明けると、彼らはイエスを総督ピラトのところに連れて行
き、死刑にしてくれるよう求めました。しかしピラトはイエスに罪がないことを知っていましたか
ら、自分がそれに手を染めないで済むように、イエスがガリラヤの出身であることを知って、ガ
リラヤを治めていた、ヘロデ王にイエスの裁判を回しました。しかしヘロデにはイエスは何も答
えられませんでした。ヘロデは、イエスを嘲るためにイエスに王の服を着せてピラトのもとに送
り返しました。
 ピラトは、イエスをどうするか自分で決定せざるを得なくなり、"この人に罪はない"と言い、そ
の血の責任は自分にはないと手を洗って、十字架刑にするためイエスをユダヤの指導者達に
引き渡しました。
 兵士達はイエスをむち打ちにしたのち、十字架を担がせて、ゴルゴタの丘にイエスを連れて
行きました。そしてそこでイエスを十字架につけました。その十字架は強盗殺人の罪人バラバ
をかける予定のものであったろうと思われます。イエスの左右にはバラバの手下と思われる二
人の男が同じように十字架につけられました。
 母マリヤを弟子のヨハネに委ねたこと、父よ彼らを赦してやって下さいと兵士達のために祈ら
れたこと、あなたがみ国の位につかれるとき私を思いだしてくださいと頼んだ強盗の一人に、
あなたは今日わたしと一緒にパラダイスにいると言われたこと、(喉が)乾いたといわれたこと、
完了したと言われたことなどイエスが十字架の上で七つのことばを口にされたことが聖書に記
されています。
 イエスが十字架についている正午から3次頃まであたりが暗くなりました。そして至聖所の幕
がまっぷたつに裂けました。イエスが完全に死なれたことをみて兵士は、蘇生して逃げ出さな
いようにするための足を折る処置をしませんでした。代わりにイエスの脇腹を槍で刺しました。
血と水が流れ出ました。
 イエスを葬ったのは、サンヒドリンの議員であったアリマタヤのヨセフとニコデモでした。復活
されたイエスに最初にお会いしたのはマグダラのマリヤでした。イエスはまだみ父のもとに昇っ
ていないから、私にさわってはいけないと彼女に言われました。そしてこれらに復活の出来事
が続きます。――――
 イエスがなぜこのようにされたのか、その受難と復活を思いめぐらしましょう。
 もし、私たちのクリスチャンでない友人から「あなたはクリスチャンでしょう。キリスト教って
何?キリスト教では何が一番大切なの?」と聞かれたとします。「私はキリストを信じています。
クリスチャンです。」と公言しているのですから、私たちにとってこれほど大切な質問はありませ
ん。
 答をだすためには、私たち自身の経験や感じていることを考えることも大切でしょうが、やは
り聖書に何と書いてあるか探求することが最善でしょう。
 引用した聖書箇所には、パウロが最も大切なことと説明した内容が記されています。
 
 


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