「同労者」第54号(2004年4月)                目次に戻る  表紙に戻る

わかふうふわかもん

 − 先を歩む信仰者の責任 −

仙台聖泉キリスト教会  山田 行

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですか
ら、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を
忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)


 今月は、久しぶりに婦人会が、もたれました。結婚して3年目位の方から上は90歳のご婦人
まで、集まってくださいます。その中でも、お姑さん、お嫁さんの関係や、ご主人が召された方
などいろいろな立場の中で、赤裸々なお証がなされました。
 主牧先生が、いつも語ることは「後に続く若い者が同じ轍を踏まないように、少しでも先を歩
んでいる人は、そのことを念頭に入れて証することが大事である」と言うことでした。それは厳し
い一面もありますが、先輩方の正直な真面目な信仰告白に、本当に私達若い者は考えさせら
れること、また感動すること、沢山の恵みと知恵を与えられます。もちろん、良いことよりむし
ろ、そんな激しい戦いの中を歩まれてきたのかと、驚くことが多いのです。しかし、そこで具体
的にどのように乗り越えたのか、また、やはりあれは違う方向であったなど語ってくださり、そ
のような足跡を残してくださる幸いを感謝しています。
 私自身も、全てを益にしてくださる、神の哀れみの中を歩んでいますが振り返るときに自分の
わがままを、信仰といってすりかえてしまい沢山の人たちに心配をかけたこともありました。今
では、家庭が与えられ子供達がいます、やはり私だけの問題でも、すぐに家族皆が巻き込ま
れていくのです。いろいろな不安や心配、思うように行かないことにぶち当たると落ち込んだり
泣いてみたり、じたばたしますがふと思うことは、神の前にどんなときもへりくだり、謙遜に生き
た先輩方の信仰生活なのです。神に信頼し、ひたすら祈り続けた信仰者達を神は辱めること
はなさらないという確信でした。
 後に続く私達も、同じ信仰に立たせていただけるようにへりくだって歩みたいと思います。ま
た、私の後に続く人たちの為にも、つまづきにならないように神を恐れつつ歩みたいと願ってい
ます。




トップへ
トップへ
戻る
戻る