「同労者」第55号(2004年5月)                目次に戻る    表紙に戻る

巻頭言
− 主よ、あなたがご存じです。 − 
仙台聖泉キリスト教会   斎藤 望

「イエスは答えられた。『わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まこと
に、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。』」(ヨハネ
13:38)


この御言葉は、主の弟子のうちの一人であるペテロについて語られたものですが、聖書の御
言葉を主が私達に語られたものであると信じている私共にとっては、心の痛むことであります。
実生活の中で直接主より「あなたは三度私を知らないと言います。」と言われる訳ではありませ
んが、数多くの問題に直面するときに「あなたは私を知らないと言いますか。」と、問われている
ように思います。実際、解決の仕方によってはまさにペテロのように「そんなものではない。」(ヨ
ハネ18:17)と主を否定する危険すら感じます。
重要な局面に立てばたつほどに「主を知らない」と答える選択の、安易な解決方法に心が傾き
かけることもあります。そのような危険と隣り合わせの毎日ですが、主は私達を見放すことなく
見守って下さることと、愛されていることを覚えます。そのことにより解決方法が、見直され方
向の修正がなされるのです。そんなときに信仰生活の中で心の中で問いかけ、応えていくこと
の大切さを感じます。
私の生活の中で神と人との関係を思いますと、主に愛され様々な問題で答えを頂いていること
がよくわかります。それは、私の思うままではなく主の導きによるものと信じております。たしか
に「神は愛なり」と聖書に書かれている通り神の愛は、私の上に降り注がれておりますし、「ヨ
ハネの子シモン。あなたは私を愛しますか。」と問われた時のように幾度となく私に対して確認
されています。その事によって知らずに近寄っていた危険を回避することも多くありました。ま
た兄弟達による多くの祈りによって支えられていることも忘れることができません。子供達が成
長するにしたがって様々な問題が湧き上がってくることでしょう。しかし問題の解決にあたり「主
を知らない。」と答える安易な解決方法を取ることなく、主に従っていくこと、主を愛していくこ
と、主に喜ばれることを第一にして問題に取り組んでいきたいと思います。
今年の年頭に与えられた御言葉により、今年は私自身の信仰を見直さなくてはならないと示さ
れています。周りの気になることの方に目が行きがちですが、そうではなく自分自身の信仰を
しっかりと立て上げなくてはいけないと思います。
「するとペテロが言った。『ご覧ください。私たちは、自分の家を捨てて従ってまいりました。』イ
エスは彼らに言われた。『まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、
両親、子供を捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってそのいく倍かを受けない者はなく、
後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。』」(ルカ18:28〜30)
 




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