「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪
から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)
6. 救いの確証について
ここに言う「救いの確証」とは、救いに与かると、人は「私は救われました。」とそれを自覚で
きる、自覚しなければならない、ということです。
ルターはカトリックの司祭でした。彼はカトリックの教えに従って修行による義認を求めました
が、その方法ではそれを得られず、信仰によって救われる経験をし、「信仰義認」の旗を掲げ たことはよく知られていることです。ルターによって起こされたプロテスタントの人々が「救われ る経験」を持ち、それを自覚していたことは歴然です。16世紀のことです。
しかし18世紀、ジョン・ウェスレイが歴史に登場してきた時代には、ドイツ、オランダ、スイス、
イギリスなどの、主流を占めるプロテスタントの間で、この「救われることを自覚する経験―― 私はすくわれましたといえる経験」が失われていたことがわかります。この経験は、主流とはい えない少数派の人々の間に存続していました。ウェスレイ自身は、ツィンツェンドルフの率いる モラビア派の集会に出席して、救われる経験をしたことが知られています。
ウェスレイの母スザンナも救いの経験を知らなかったことが、ウェスレイと交わした手紙によ
って知られています。
以下のみことばをよく考察しましょう。「救いは自覚できるもの」であって、「私は救われまし
た。」という経験をし、「私は救われています。」といえる状態が保たれなければなりません。
「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいま
す。」(ローマ8:16)
「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私た
ちのうちにおられることがわかります。」(ヨハネT4:13)
「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。私
が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永 遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」(ヨハネT5:12〜13)
「神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。・・神が御子についてあ
かしされたことを信じないからです。そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられた ということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。」(ヨハネT5:10〜11)
(以下次号)
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