「同労者」第69号(2005年7月)                              目次に戻る

巻頭言
− JSF*註)の若者への期待 − 
仙台聖泉キリスト教会  石井 行雄


「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、
すばての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各
器官なのです。」(コリントT12:26〜27)


 6月30日は仙台聖泉キリスト教会創立54周年の日であり、山本先生が盛岡聖泉教会から
当教会に赴任されて40年になったことと併せて記念しようとしています。
 私も親の信仰を受け継いだ者として、半世紀くらいこの教会と共に生きてきたことになりま
す。息子が今年大学に入り、同じ年頃のクリスチャンホームに育った若者を見るとき、感慨深
く、年月の長さと世代交代の波を感ぜずにはおられません。そして全員が信仰を受け継いで、
神様と共に歩む人生を送ってほしいと祈ることであります。
 戦争の中を生きた親の世代とは違って、私には極度の貧しさや、大きな病気と戦ったという
経験はないのですが、平坦な道を歩いたとうことではなかったと思います。
神様を知らず、自分の欲のままに生きていた者が、救われて三十三年間教会の方々と苦楽を
共にし、教会建設の一端を担わせていただいてここまでくることができて感謝です。
今思うと、多くの人がそうであるように私にとって大切な時、分岐点は学生時代にあったように
思います。若いときに何に価値を見いだし、生きたかによって一生が決まると言っても過言で
はありません。
 私の場合、高校時代はクラブ活動のために、ほとんど教会の集会に出ることはなかったので
すが、大学時代に教会に通い続けたことが幸いでした。教会に来るとキリスト教のすばらしさ
がわかり、目が開かれて、恵まれたのですが、罪が責められて苦しい思いをしたこともありまし
た。高校の時は罪を忘れていたのです。罪を忘れることと、十字架の血潮によって贖われるこ
ととは全く違うことです。
 私の経験から若い人たちに言えることは、限度を超えて楽しさを求めることはせず、集会に
通い、熱心に真理を求め、活動することであり、それを支えて助けるのが私たちの年代の役目
だと思うこの頃です。
 一回一回の集会を大切にすることが救いへの第一歩であり、成功への道であると信じること
であります。私もこの仙台教会の伝統を守り続けたいと思います。




*註) JSF(Juior Seisen Fellowship)
 聖泉連合に所属する若い人々の活動の場となり、交わりを通して救いの経験と霊的生活の
確立がなされることを目的に、1975年に創立された組織。各教会の組織と連合全体の組織
の二重構造をとる。
 音楽活動、スポーツ、チーム伝道、セミナーなどを実施している。



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