「同労者」第69号(2005年7月)                            目次に戻る 

論  説

 − 「同労者の会」設立趣旨 

「同労者」第1号(1999年10月)に――信徒会(仮称)に期待するもの――と題して論説を掲
載しました。
そこに、雑誌「同労者」の前に聖泉連合内の「信徒会」を作ろうとした趣旨を記しました。今回
聖泉連合の枠を越え、広く同じ信仰をもつ兄姉と、「同労者の会」をつくることにしました。参加
できる教会は多くなりましたが、その趣旨は変わっていません。ここに、前回掲載した記事を、
「信徒会」を「同労者の会」に置き換えて掲載しておきます。


"私たちは主の働き人たちの「同労者」を目指す"ことを目的として本会を運営しようとしていま
す。それで、機関誌名も「同労者」としています。
 同労者は、各教会の働き人たちとその労苦を分かつものであり、またその教会の如何に対
する共同の責任者です。ですから私たちは、教会の中に生じる不具合な事項に対し、その改
善のための労を一緒に担う者となることを目指すものとなっていかなければなりません。
 勉学でも、スポーツでも、楽器の演奏でも、書道やお花などの習い事でも、自分が上達したと
思うとそれが面白く感じられますが、それが止まってしまい上達しないと感じると面白くなくなり
ます。同様に、自らの信仰に進歩をみることこそ、私たちが信仰に情熱を傾け続けることので
きる唯一の条件です。
 何かに上達する条件は、よく考えて訓練を積むことです。野球で言うならば、バッティングや
投球、球の処理、盗塁、などなど様々なことがありますが、それらの一つ一つについて、うまい
人のプレーをよく観察し、自分の動作と比較し、同じように出来るように練習すると、練習しな
い人、考えて練習しない人に比べ上達が早いのです。
 信仰も様々な場面、様々な要素があり、全部のことにすぐれている人なぞあろう筈がありま
せん。ですから、自らの不得手な面、足りない面に対し、すぐれたものを現す兄弟達を観察し、
自らの信仰を向上させる訓練をすべきです。
 私たちは、交わりの場を持たないと、なにかにすぐれた兄弟達を観察する機会がありませ
ん。「同労者の会」を、その場を提供する場として育てていく必要があります。
 主にある兄弟姉妹達の積極的な参加を願うものであります。

  

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