「同労者」第70号(2005年8月)
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今回は以前ご紹介した「愛すること信ずること」に続くエッセイである「生きること思うこと」をご
紹介しようと思います。
新潮文庫の終わりには「新潮文庫からの出版にあたって」という特別な章が三浦綾子氏によ
って書かれていますが、そこでこの書に収められているエッセイが元々どういう書物に掲載さ れていたかが紹介されています。そこを見ると、前半34篇が「信徒の友」誌に、後半10篇が 「アシュラム」誌に掲載されていたことがわかりますが、これらはいずれもクリスチャン向けの雑 誌ですので、この書は基本的にクリスチャン向けのものであると言えます。ですから、この書は 三浦綾子氏が自らの体験に基づいて信者向けに書いた、信仰成長と信仰復興(リバイバル) のための書なのです。
実際この書を読み進めて行くと、このことはすぐに明らかになって来ます。
例えば、「弱さのゆえの旗じるし」という章を読むと、そこでは人々の前で信仰告白することの
重要性が語られています。「それはともかく、はじめて小説を書き始めた時から、私は、自分が クリスチャンであることを、ハッキリと言明してきた。私が三浦の妻であることを常にハッキリい うことも、キリスト教徒であることをハッキリいうことも、ある意味では、私の弱さの表明なのかも しれない。」「私がもし、クリスチャンであることを言明しなかったら、あるいは「氷点」一作でこの 世から消え去っていたかもしれない。イエスはキリストであると告白した時に、神はかくも豊か に恵みたもうたのだ。」
そして、「わたしは牧師夫人になれぬ」という章では、牧師や牧師夫人を尊敬すべきであるこ
とが強く教えられている。「わたしは、今まで講演で全国の小さな教会や大きな教会に招かれ ている。そして、時おり、牧師や牧師夫人に対する苦情を聞かされることがある。無論、牧師や 牧師夫人は絶対的存在ではない。神ではない。やはり人間なのだから、多少の欠点はあるの が当然だ。全く批判してはならないとは言えないが、わたしも神を信ずる者の端くれとして、一 つの基本線を持っている。それは、牧師は神のみ言葉をとりつぐ尊い使命を持って居られる。 聖書を尊ぶ信者は、牧師を尊敬しなければならない。故に、みだりに牧師を批判してはならな いということである。」「牧師は貧苦に耐えてこそ、すばらしい説教が生まれると堅く信じている 信者がまだいることは、確かで、私も直接、そういう言葉を聞かされたことがある。「じゃ、あな たは、そのすばらしい説教を、よくよくわかるためには、牧師の何倍も貧しくなる必要があるわ けね。」私はこうズケズケと皮肉りたくなる。」
この書は信仰生活に悔い改めとリバイバルを与える、全クリスチャン必読の書です。
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