「同労者」第70号(2005年8月)                            目次に戻る

Q&Aルーム


 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。

回答例(作成者:野澤)
 R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ
いての説明を続けます。

<イエス・キリストの品性> 
 8. キリストの謙遜
8.1 イエス・キリストの謙遜の事実
(1) イエス・キリストは柔和で心のへりくだったお方でした。
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学
びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ11:29)

8.2 イエス・キリストの謙遜はどのように顕されたか
(1) イエス・キリストの謙遜は、彼がご自分の栄光を求めることをされなかったことによって顕さ
れている。
「わたしはわたしの栄誉を求めません。それをお求めになり、さばきをなさる方がおられます。」
(ヨハネ8:50)

(2) イエス・キリストの謙遜は、ご自分が有名になることを避け、世の賞賛を拒否されたことに
よって顕されている。
「彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。」(イザヤ書42:2)
 多くのいわゆる信者の中には、自己の名の顕れることを望む人もいますが、イエスはそれを
厭い避けなさいました。彼は自ら恵みを施した人びとにさえも、それを世に顕すことを堅く戒め
なさいました。ですから、彼には広告部というようなものは必要がありませんでした。

(3) イエス・キリストの謙遜は、世人に蔑視されて顧みられない罪人らと交わられたことによっ
ても明らかである。
「イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスや
その弟子たちといっしょに食卓に着いていた。」(マタイ9:10)
「さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。 15:2 する
と、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。『この人は、罪人たちを受け入れ
て、食事までいっしょにする。』」(ルカ15:1〜2)

(4) イエス・キリストの謙遜は、無法な傷害と不正とに対しても忍耐して従いなさったことによっ
て顕されている。
「神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に私の背中
をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠
さなかった。」(イザヤ50:5〜6)
「あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなた
がたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」(ヘブル12:3)

(5) イエス・キリストの謙遜は、彼が無法な罪人たちの傷害と不正に対して沈黙されたことによ
っても顕されている。
「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のよう
に、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」(イザヤ53:7)

(6) イエス・キリストの謙遜は、偽りの訴えに対する彼の沈黙によって顕かである。
「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお
任せになりました。」(ペテロT2:23)
「偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出
て、言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と
言いました。」そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人
たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」しかし、イエスは黙って
おられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あ
なたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」(マタイ26:60〜63)
「ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。ずっと前からイエスのことを聞いていたので、イエスに
会いたいと思っていたし、イエスの行なう何かの奇蹟を見たいと考えていたからである。それ
で、いろいろと質問したが、イエスは彼に何もお答えにならなかった。」(ルカ23:8〜9)
(以下次号)


<今月の質問>
 来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。説明について、疑問点がありまし
たらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致します。


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