「同労者」第70号(2005年8月)
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信仰良書
悔い改めとは即時のものである
人はただちに悔い改めることが出来るでしょうか。確かに出来ます。体の向きを変えるのに
長い時間は必要ありません。同様に人が心を変えるのに半年は必要ありません。
しばらく前、一隻の船がニューファンドランドの海岸で沈没しました。船が岸に向っていると
き、船長がエンジンを逆回転させて後戻りするよう命令を出すことが出来た瞬間がありました。 もしその時にエンジンを逆回転させていれば船は助かったでしょうに。しかし遅すぎたのです。 そのようにすべての人の人生に、立ち止まって「神の恵みによって私はこれ以上死と滅びには 向わない。私は罪を悔い改め、そこから離れる」と言うことが出来る瞬間があると私は信じま す。そこまで十分に気持ちが高まっていないと言う人もいるでしょう。しかし自分が間違った道 を歩んでいることがよくわかったなら、回れ右をして「私はもはや今までして来たような不従順と 罪の道を歩まない」と言いなさい。
あなたが自分の意思で神の方へ向き直るまさにその時、救いはあなたのものとなるでしょう。
聖書に記されているあらゆるケースの回心は瞬間的なものであることがわかります。悔い改
めと信仰は突然やって来ました。その人が心を決めた瞬間に神は力をお与えになったので す。神はどんな人にもその人が出来ないことをするようにとはおっしゃいません。もし出来ない のであれば、神は「すべての人に悔い改めを命じ」(使徒17:30)たりはなさらなかったでしょう。 人が悔い改めず福音を信じないのなら、それは誰のせいでもなくその人自身の責任なので す。
註)
ドワイト L.ムーディー(1834−1899)
米国マサチュセッツ州ノースフィールド出身、ボストンのマウントバーノン組合教会で救われ、
大衆伝道者となり、チャールズ G・フィニーらに並ぶリバイバル運動の一角を担った人。
「同労者」第43号(2003年5月)p.15−18に略伝が掲載されています。
申し訳ありませんが、まだホームページからは読むことができません。
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