「同労者」第70号(2005年8月)
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![]() 私たちの日々の生活は、時間に追われ、物事がめまぐるしく、落ち着きが無く、短気になって います。何をするにもそのための準備の時間は少なく、祈り、御言葉を読む時さえも、短くなっ ていく自分に気がつきます。日々活動的に、精力的に熱心に能率的に働かなければいけない という気持ちに追われているにもかかわらず、どうしてその結果が不活発で、非能率的、物事 が思うように進まない現実だけが残るような時がしばしばです。 特に祈り続けている課題が一向に進まない時に、何ともいえない不安や落ち込みが心を支 配し始め、神様に拒絶されているのだろうかなど思うことがあります。そうでなければ、なぜこ んなにも遅れさせるのか?遅延は、私たち神様を信じるものとしてはまたとない訓練として受 けなければいけないことのように示されます。聖書の中にもアブラハムが約束の子が与えられ るまで長く待ち、ヨセフはエジプトで何年もむごい仕打ちをうけ、モーセも荒野で長年過ごし、子 の無いハンナは、祈り続けた姿など思い出されます。まだまだ、「長い時を待ち望む」信仰者の 姿は多くあります。 聖書の中以外でも、私たちの教会の先生方、先輩方もそうです。 この待つ時をどのように捉えて生活するかは、とても大きな鍵になると思います。強められる ために弱くなり、語るために黙し、健やかになるために病み、良き友を得るためにしばし皆に 忘れられるなど、神様の御訓練は、人間には理解できない領域にあります。遅延という暗闇の 試練をとおして聖徒の忍耐を、学び、神様への信頼を学び、どんな時でも希望を持ち続ける強 さを与えられたいと切に願うこの頃です。 何時の日か、神様が良しとしてくださる時に、良しとされる方法でアブラハムが子供を与えら れ、ヨセフがその地位を与えられ、ハンナが子供を授かる時まで、仕えたように、私も忍耐の 祈りをし続けながら待ち望む信仰者になれたらと思います。「本当に早く早く、合理的に」、の時 代の中で神様のご計画を信じ目に見えるものだけにとらわれることによくよく注意しながら歩ま せていただきたいと思います。 ![]() |