「同労者」第71号(2005年9月)
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巻頭言
「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのう
ちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をお おうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(コリントU12:9)
私の教会では、月に二回、日曜日の夜に伝道会が行われています。この伝道会の始まる前
には必ず路傍伝道があります。この働きを通して導かれる方は非常に少ないのですが、長く続 けられている大切な働きです。繁華街に近い教会なので、歩いてすぐのところにあるアーケー ドの入り口を路傍伝道の場所にしています。
準備の祈祷を会堂で行ってから出かけていきます。私が子どもの頃は教会で留守番をしてい
ましたが、今は小さい子どもたちもこの働きに加わるようになっています。アーケードの入り口 に着くと皆で共に讃美をします。司会者が伝道会の内容と教会の場所をご案内し、証し人がた てられ、救いのお証しをします。この司会と証しの御用は主に教会の若手メンバーで構成され ていますが、まだ慣れていないものは原稿を片手に棒読みのようになりながらも精一杯道行く 人たちにお伝えしています。私も原稿は持ちませんが、まだまだこの御用に対して未熟さを感 じています。教会の集会の中でするお証しとは違い、本当にキリスト教を知らない一般の人た ちに伝えるのだと思うとどうしても構えてしまうところがあります。「こんな話をしてわかってもら えるのだろうか?口下手なしゃべり方ではうまく伝わらないのではないか?」と自問自答すると きがしばしばあり、自然とそういう思いが出てしまい、自信の無い御用になってしまうのです。こ のままではいけないと思いつつも、なかなか改善出来ない自分の弱さを覚えていました。
しかし、ある兄弟が涙ながらにお証しをしている真摯な姿を見たときに非常に心を打たれまし
た。「自分にはこの路傍伝道の働きに対する真剣さが欠けていたのではないか?もっとこの事 を神様に祈り、自分の弱さを委ねるならば必ず証しの言葉にも力があたえられるはずだ」と。 この年も後半に入りますが、路傍伝道の御用になお一層挑戦させていただこうと願います。 |