「同労者」第71号(2005年9月)                            目次に戻る 

三浦綾子を読む
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− 自 我 の 構 図 −
東京ミレニアム・チャーチ 牧師  長谷川 与志充
 
 今回は「自我の構図」という作品をご紹介しようと思います。
 この作品は三浦作品の中ではマイナーな作品と言えますが、この中に描かれているテーマ
は非常に重要なものだと言えます。
 この作品の解説で久保田暁一氏が次のように述べていますが、これは三浦作品全体を理解
するためにも重要な言葉です。
「三浦さんの諸作品は、大別すると二つに分類することができよう。一つは、罪のうちにある人
間存在、自己中心でエゴイズムに堕している人間存在を凝視し、互いに愛し、連帯し合うべき
人間同士が傷つけ合うドラマを描いた作品であり、他の一つは、キリスト者の理想像とも言うべ
き人物を主人公にして、その愛と献身の生涯を書いた系列の作品である。(例えば、『塩狩峠』
『細川ガラシャ夫人』、『千利休とその妻たち』など)本書『自我の構図』は前者の系列に属する
作品である。」
 この作品に登場するすべての人物を通して、三浦綾子氏は自己中心でエゴイズムに堕して
いる、この書のタイトル通りの「自我の構図」を見事に描き出していますが、何と言ってもその
代表例は主人公である高校教師の南慎一郎に見られます。彼は作品の中で以下のように自
問自答しています。
「恥とはつまり、自分の醜さを、まず自分自身が認めたくない思想なのではないのか。醜い自
分を、なぜ素直に醜いと認めたくないのか。自分はこんなにも醜い奴なのだと、なぜ自分に認
めさせ、人前に告白できないのか。」
 このすぐ後で三浦綾子氏は罪とは何かをある人の口を借りて語っています。
「包み隠すということが罪なんですなあ」 この後で主人公の南慎一郎は次の重要な結論に達
します。
「しかし、どのようにして自分自身の姿を、あるがままに受け入れることができるものなのか、
それはおそらく、哲学の世界でもなければ、芸術の世界でもない、もっとちがった世界、つまり
宗教の世界においてでなければ、判然としない問題のように慎一郎には思われた。」
 三浦綾子氏はこの答えをこの書の中では書いていませんが、以前ご紹介した「光あるうち
に」を初めとする信仰入門的な作品への動機付けがしっかりとなされていると言えるのではな
いでしょうか。
 この作品はいわゆる「不倫」を扱っている作品ですが、これから結婚する人も、すでに結婚し
ている人も、以下の言葉はしっかりと覚えておくべきだと思います。
「男と男の約束という言葉があるだろう。しかしなあ、南君。男と女の約束というのも大事なもん
なんだよ。これがいわば社会の基礎だ。結婚はね、これは契約だ。約束だ。男と女が、一つの
家庭を築いて行こうという、いわば一生をかけての約束だ。」

 
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