「同労者」第71号(2005年9月)                            目次に戻る

Q&Aルーム


 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。

回答例(作成者:野澤)
 R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ
いての説明を続けます。

<イエス・キリストの品性> 
8.2 イエス・キリストの謙遜はどのように顕されたか(つづき)
(7) イエス・キリストの謙遜は、彼がこの世に来られたことが、人に仕えるためであって、他人
に仕えられるためではなかったということによって顕かである。
「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人の
ための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」(マタイ20:28)
(8) イエス・キリストの謙遜は、彼がもっとも卑しい人の厭がるような奉仕を他人のためになさ
れたということによって顕かである。
「夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たら
いに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。」
(ヨハネ13:4〜5)
(9) イエス・キリストの謙遜は彼が神と等しい天上のもっとも高い栄光の御座を捨てて、地上の
もっとも卑しい奴隷のごとき姿となり、人類に奉仕されたことによって顕わされている。
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えない
で、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ2:6〜7) 
  (以下次号)

<今月の質問>
 イエス・キリストの品性についての質問は次回で終わります。説明について、疑問点がありま
したらお知らせ下さい。次のテーマに皆さんの質問を歓迎致します。


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