「同労者」第72号(2005年10月)                         目次に戻る

巻頭言
− 小さなことに忠実であること − 
仙台聖泉キリスト教会  玉城 憲一


「私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。」(ガラテ
ヤ5:5)


 イエス・キリストによって救われますと新たな命が与えられ、今まで生きて来たものとは、全く
別の人に生まれるのです。
肉につける望みと御霊につける望みは違うものです。御霊によって生きていきなさいと神は命
じておられます。
 一年に一回の健康診断があり、毎年受診していますが、その度ごとに結果の通知に一喜一
憂しています。今年は、少し体脂肪が多いがその他は別に大したことがないということでした。
健康診断の時医者に言われたのは、「酒やタバコはどうだ?」ということでした。「酒やタバコは
のみません」と返事をしたら、「それは良いことだ」と言われました。
 酒は少量なら体に良いとか、またつき合いだから飲むと世の中では言われていますが、私ど
もの教会では、酒やタバコは飲まないことになっています。それが健康の上でも良いことであっ
て、そのことが医師によって証言されたわけです。酒が人間の気力、体力また健康にいかに影
響を与えるものであるか考えさせられます。
 私どもの生きる目的、目標は、肉の思いを満たすためではなく、御霊によって生きること、そ
の「愛によって働く信仰だけが大事なのです。」(ガラテヤ5:6)
救われる以前は、肉につけるものを考え、救われた後は御霊のことを考えます。「なぜなら、肉
の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そ
のためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。」(ガラテヤ5:17)
 何をするにおいても気力、体力が必要であります。「御霊の実は、・・柔和、自制です」(ガラテヤ
5:22〜23)から、御霊の実を結ぶために、柔和、自制に生きる気力、体力が求められていま
す。酒、タバコを飲まないといったほんの小さなことが、気力体力に影響を与えて、肉の願うと
ころではなく、御霊を求め続けて行く気力が与えられ、また体力が与えられることに感謝です。

「・・『 それで、私たちは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じたすべての命令に
聞き従い、私たちも、妻も、息子、娘たちも、一生、ぶどう酒を飲まず、住む家も建てず、ぶどう
畑も、畑も、種も持ちません。・・』
・・それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『レカブの子、ヨナダブには、いつ
も、わたしの前に立つ人が絶えることはない。』」
(エレミヤ35:1〜19)



      目次に戻る      表紙に戻る