「同労者」第72号(2005年10月)
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今回は「帰りこぬ風」という作品をご紹介しようと思います。
この書は日記形式というめずらしい形で書き綴られていますが、その最初の文は私達の心
をその主題にしっかりと向けさせるものです。「今日はなぜか、一日淋しかった。」この「淋しさ」 こそ三浦綾子氏が信仰以前に強烈に悩み苦しんだ出来事であり、信仰を持っていない人が必 ずぶつかるであろう大問題であることを彼女は実体験を元にいろいろな著作で語っています が、この書では主人公である西原千香子を通してそのことが明らかにされています。
看護婦である彼女はある医師に恋心を寄せますが、その後彼女は裏切られ、以前よりもより
大きな「淋しさ」を担うようになります。そんな彼女に入院患者である広川は次のように語りま す。
「何だか千香ちゃんを見ていると、生きるということがわかっていないような気がして、淋しくなり
ますよ」「千香ちゃん。あなたは、生きているという確かな手ごたえを感じますか。本当の意味で 充実感がありますか」これらの言葉は、まるで「道ありき」で記されている、かつて三浦綾子氏 を見舞った前川正氏の言葉であるかのように私達の心に響いて来ます。自分で「淋しさ」を感 じている人は、生きているという手ごたえがなく、充実感がない人であると同時に、他の人のた めに生きていない人と言うことができるでしょう。
このような状態から脱するためには、どのようなことが必要なのでしょうか。千香子はある時
重要なことに気付きます。
「何のために、わたしはこんな日記を書いているのだろう。いくら書いても、ちっとも自身に進歩
がない。自分に対する厳しさも、自己凝視もないところに、何の進歩もないのは当然なのだ。で はなぜ、わたしには自己凝視をする厳しく鋭いまなざしがないのか。それはただ、次から次と 起きて来る出来事に、右往左往しているからなのだ。足をとられ、渦に巻きこまれている弱虫 だからなのだ。」
そこで、千香子は退院した広川に「憂いの街に至らぬ真実に生きる生き方を教えてほしい」と
手紙を書き送ります。彼女はついに自分を凝視することに着手したのです。
しかし、千香子が返事を待っている所に、広川は重態で病院に運ばれて来ます。彼女はそん
な彼を見てこのように思います。「ああ、わたしの命を譲り得るものならば ・・・。切実に、何者 かに祈りたい思いがする。」
千香子はこの時初めて「真実な生き方」を見い出したのです。つまり、他の人のために生きる
ということ、そして神様に向かって生きるということをし始めたのです。
この書は「魂の求道の書」とも言える、三浦文学の隠れた傑作です。
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