「同労者」第72号(2005年10月)
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![]() るからである。」(コリントU12:9) 私は、今までの人生の中で、何度も何度もこの御言葉に励まされました。人は何が得で、何 が損で、何が幸福で何が不幸なのかそんなことばかり考えて自分なりの幸福を思い巡らしなが ら生きています。私は本当に何が得かや何が幸福かなどは人は決められないと思っていま す。何故かといえば神の前では人は人に過ぎず弱い小さな取るに足らないものであることを教 えられたからです。 この聖書のところを書いたパウロは、教養もあり、信仰も深くすばらしい伝道の働きをしてい ましたが、健康には恵まれなかったようです。絶えず病気のために悩まされ、目も悪く、人に助 けられながら不自由な生活を送っていたようです。私はきっとパウロは何度も何度も肉体の痛 みや苦しみに耐えかねて叫ぶように癒しの祈りをしたと思います。しかし神は上記のような言 葉をパウロに語り、「今のあなたには、十分な恵みを与えている、これ以上欲張るな」と彼の祈 りを退けているのです。 「私の力は弱さのうちに完全に現れるからです。」というのはパウロに対して「人は弱さ、病 気、困難があるからこそそれだけの大きな働きができたのですよ」 ということでしょうか。 私は、もう少し自分がこうだったら、もっとお役に立てるのにとか、人の助けができるのになど 思いますが、何という高ぶりの気持ちだろうと示されました。 自分の足りなさに涙し、弱さを突きつけられ、思うようにならない現実や、心配な出来事、悲し い出来事、先の見えない忍耐を通らせていただくたびに神によりすがり、真剣に祈り、神の言 葉に謙遜に取り組もうと促されるのです。また苦しい時に周りの人々の温かな励ましや助けに 涙し感謝が溢れたことなど、本当に神はそのような時に多くの恵みと神ご自身を表してください ました。この御言葉がアーメンとなって私の真実になったのでした。 今、教会の中には、病の闘いの方たちや、歳をとって、身体の不自由なお年よりもいます。 困難を強いられている方々もいます。もちろん私たちは癒しの祈りをし続けますし助けが十分 にある事も祈ります。でもそれ以上に神はそこに豊かな恵みと励ましを用意していてくださるこ とと、神ご自身の完全がなされることを、信じ感謝も捧げさせていただきたいと思います。です から身体が健康で困難がないのが幸福で苦しみばかりの人生が不幸などと決めるべきではな く神にお任せして天国で決めていただこうと思いました。 ![]() |