「同労者」第73号(2005年11月)                          目次に戻る

Q&Aルーム


 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。

回答例(作成者:野澤)
 今回から、「イエス・キリストの人性」について、R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されて
いる項目を引用して説明します。
 「イエス・キリストの人性」というテーマが取り上げられる理由は、イエスキリストは真の神であ
られるけれども、同時に真の人間であるとはどういうことかと議論されるためです。イエスが真
の人間であるということは、イエスは私たちと全く変わらない本当の人間になられたということを
意味します。
 それが聖書にどのように記載されているかと考えて、私たちひとりびとりが出す答えとR・A・ト
ーレイが聖書の教えに掲げた内容とを比較することによって学ぼうとしているわけです。


<イエス・キリストの人性> ・・イエス・キリストは真の人間であられることを示す聖書の
記述・・
1 イエス・キリストは人間的な名称で呼ばれている
(1) イエス・キリストは昇天後も人の子と呼ばれている。
「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエ
スです。」(テモテT2:5)

(2) イエスは自らも「人の子」と呼ばれた。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)
 ステパノは、イエスが神の右に立って、栄光の中におられる姿を見たときですら、なお彼を人
の子と呼びました。(使徒7:55〜56)

2 イエス・キリストの肉体の人間としての性質
(1) 「永遠のことば」は、血肉を持った肉体となられた。実にイエス・キリストは真の人間として
の肉体を持たれた。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとか
ら来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)
「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ち
になりました。」(ヘブル2:14)
 註1:肉体を持たれたキリストの実在を否定することは「反キリストの霊」のしるしです。
「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神から
の霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。そ
れは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に
来ているのです。」(ヨハネT4:2〜3)
 註2:イエス・キリストは、ある時に内にある神としての栄光が肉体の覆いを通して輝き出て、
変貌されました。
「そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなっ
た。」(マタイ17:2)
(2) イエス・キリストは復活された後も、真の肉体を持っておられた。
「それからトマスに言われた。『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばし
て、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。』」(ヨハネ
20:27)
(イエス・キリストは、復活された後は戸を開閉することなく部屋の中に来られたり、去られたり
したことが示され、彼の肉体がどこにでも自由に出入りできる霊の体に変わっておられること
がわかりますが、地上におられたときの体と同じ姿かたちが復活の後にも残っていることがこ
こに示されています。)
(3) イエス・キリストは今も栄光の中に、肉体をもっておられる。そして後には、天の雲に乗り、
再びこの世においでになる。
「イエスは彼に言われた。『あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今
からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見る
ことになります。』」(マタイ26:64)
 他に、使徒7:55〜56、黙示5:6を引用。


<今月の質問>
 次回もイエス・キリストの人性についての学びを継続します。説明について、疑問点がありま
したらお知らせ下さい。また別なテーマについても皆さんの質問を歓迎致します。






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