「同労者」第73号(2005年11月)                            目次に戻る 

信仰良書
 − 神 へ の 道 (60) −
感情についての忠告

 多くの人々は、自分でも正確に何をとは言えないけれど、ある種の不可思議な感情が知らぬ
間にやって来て自分を包み込むのを待っています。それはある種怪しげな信仰と言えるでしょ
う。
 数年前、私はある人に伝道していましたが、彼はいつも同じ答えをするのでした。5年間私は
彼をキリストに導こうと努めましたが、毎年彼は「あれがまだ私の心を打ちません」と言いまし
た。「どういう意味ですか。何があなたの心を打たないのですか」と私が問うと、彼は言いました
「私はあれが私の心を打つまでは、クリスチャンにはなるつもりはありません。そしてあれはま
だ私の心を打たないのです。私にはあれがあなたに見えるようには見えていないのです」「しか
しあなたは自分が罪人であることを知らないのですか」「私は自分が罪人であるとわかっていま
す」「それならば、神があなたにあわれみをかけようとしておられること、あなたを赦そうとして
おられることを知らないのですか。神はあなたが悔い改めてご自身のところに来るのを望んで
おられるのです」「はい。わかっています。しかしあれがまだ私の心を打たないのです」
 彼はいつもそこに戻ってしまうのでした。なんて哀れな人なのでしょう。彼は不決断の状態の
まま墓に入って行ってしまいました。神は60年もの年月を彼に悔い改めるために与えました
が、それらの年月の終わりに彼が持っていた言葉は「あれはまだ私の心を打ちません」がすべ
てでした。
 皆さんの中で誰か、何かわからないけれども不思議な感情を待っている人がいませんか。聖
書のどこにも待つように言われた人はいません。神はあなたに「今」悔い改めるように命じてお
られます。



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