「同労者」第73号(2005年11月)                           目次に戻る

聖書研究
仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会1982.10.26(予稿)補遺

 未来における救いについて(17)
仙台聖泉キリスト教会  野澤 睦雄
 
4.2 新しいエルサレム(つづき)
「また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使いの尺
度でもあった。」(黙示21:12)
 1ペーキュス=45cmですから、新しいエルサレムには城壁があり、その城壁の高さは64.
8mで、町の大きさに比べると低いのですが、充分な高さです。神の町に地上の、それも歩兵
が戦うような戦争の時代に町の防衛にしたような意味での城壁は不要です。ですからこの城壁
は、新しいエルサレムを飾るためのものでしょう。
 新しいエルサレムは、大きいだけでなく前にも述べたように栄光に富んだものです。
「その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。都の城壁の
土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉
髄、第四は緑玉、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱
石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。また、十二の門
は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き
通ったガラスのような純金であった。」(黙示21:18〜21)
 ここに顕されているのは、
   ガラスに似た純金の町
   城壁は碧玉(青色の水晶系の石)
   あらゆる宝石で飾られている土台
   真珠の門
です。
 真珠の門は、12あって、それぞれの門に一人ずつみ使いが番をしており、十字架によって
贖われ、「子羊のいのちの書に名が書いてある者」(黙示21:27)だけがその門を通ることが許さ
れます。(黙示21:26) この門は閉じることがありません。(黙示21:25)
 この都の中に神の御座があり、神が住んでおられます。そしてこの都の住民は、イエスの十
字架によって、イスラエルから贖われた人々と、世界の諸民族から贖われて教会に加えられた
人々です。また、無数の天使たちも共に住みます。
 「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光も
いらない。」(黙示22:5)
 今私たちが地上で見ている太陽は、神の光の型なのであって、神が本当の光です。「天は神
の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩編19:1)
私たちは新しいエルサレムに立つとき、真の光を見るのです。

4.3 いのちの水の川
 「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座
から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の
実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。」(黙示22:1〜2)
 神と子羊の御座から出て都の大通りの中央を流れるいのちの水の川がしめされています
が、私たちは、ここに不思議なことばを見いだします。川の両岸にいのちの木があって、その
木の葉が諸国の民をいやすという表現です。
 新しいエルサレムの住民に、なおいやされる必要のある人がいるのでしょうか?
このいのちの木は、エデンのいのちの木(創世記2:9)と同じものでしょうか?それともエデンの
いのちの木はこの天のエルサレムのいのちの木の単なる型なのでしょうか?それは分かりま
せん。
 このみことばが意味していることは、天のエルサレムの住民は、神を礼拝し、神を賛美して、
永遠に過ごすのですが、天国においても今の地上における生活にまさる多様性があるのであ
ろうと推測されることです。罪はもはやありません。しかし多様性があり、飽きのくるような世界
ではないのです。
 都エルサレムの外はどうなっているのでしょうか?それもまた興味のわく問題ですが、聖書に
はほとんど明らかにされていません。ただ、海はなく(黙示21:1)、「諸国の民が、都の光によっ
て歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。
そこには夜がないからである。」(黙示21:24〜25)
 エルサレムが明るいのでそれが太陽の代わりなります。「夜がない」ということはもう眠る必
要もないのでしょう。
 「諸国の民が都に来る」ということと、「いのちの水の川の両岸に、いのちの木があって、その
木の葉は諸国の民をいやした」というみことばから、この都の大通りをながれるいのちの川
は、都エルサレムの外にも流れ出ていることが分かります。
 新しいエルサレムの住民は、「彼らは永遠に王である。」(黙示22:5)のですが、王はただひと
りでいるのではなく、臣民がいるものと思われます。したがって、この諸国の民がその人々該
当するのでしょう。
(以下次号)
 


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