「同労者」第74号(2005年12月)
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「その時、主は働かれた」の分科会は山田兄姉の担当で行われ、計5人の出席でした。出席
者自体は少なかったですが、おいしいお茶とお菓子をいただきながら、終始明るく、人数の少 なさを感じさせない分科会でした。
出席者1人1人がこれまでの生涯の中で経験した信仰の危機、困難等についての証をする
時を持ち、確かにその時、主が働かれたことに感謝しました。
最後に山田兄がへブル5章7、8節「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死か
ら救うことできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその経 験のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみ によって従順を学び」を開き、従順について語られました。今は分からなくても、まずは従うこと が大切であるということが、兄弟の経験を通して語られて、そのことをを聞くことが出来て感謝 でした。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべての
ことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)
担当者は斎藤望兄と優子姉のご夫妻で、出席者は6名でした。初めてのことなので不安もあ
りましたが、期待感を持って席につきました。祈りの会はテキストにブラザーローレンスの「敬 虔の生涯」が使われ、読み続けていくなかに、斎藤兄弟のこれまでの信仰生活を通して神が 身近におられることの確信に満ちた証がなされ、祈りが積まれ、建て上げがなされてきている 人の姿を感じました。そして集会の中盤から山本光明先生からおすすめがありました。「あな たの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ22:39)の御言葉をもって、教会建設、家庭建 設、信仰の継承がなされていく上での救いについてなどなど、一言では語り尽くせない内容の 濃いもので、いつの間にか時間も過ぎておりました。先生の話された言葉のなかに、若い時は 情熱をもって事にあたってゆくが、年をとるにつれてこの情熱は薄れてゆくけれども、代わりに 分別がでてくるという事がありました。"どういう時どういうところで分別のあるクリスチャンと評 されるのでしょう・・・"。これは課題です。
秋季キャンプ、収穫が多くありました。少しずつ整理をさせていただきながら、これからの信
仰の糧とさせていただこうと思います。天候にも恵まれ、リクリエーションも楽しく、家族とともに 参加させていただき感謝でした。
森田心さんが担当したこの分科会は山本和子婦人伝道師を囲んで、参加した信徒の方々の
質問に先生にお答えしていただくという形で進められました。質問の中心は、信仰の継承を指 針にして歩みを続ける中で、いかに親と同じようにして子どもに真摯な信仰を持ってもらうこと が出来るかということでした。先生からは、山本光明牧師と取り組んでこられた夫婦の家庭建 設の経験談を交えながらお話していただきました。親自身が真摯な信仰に歩み、子どもにその 姿勢を見せ続けながら神様を見出してもらう大切さを改めて学ぶひとときでした。 |