「同労者」第74号(2005年12月)                         目次に戻る 

JSF&OBの部屋

 −イーグルス 〜練られていくことの豊かさ〜−
仙台聖泉キリスト教会  石井 和幸
 
 仙台は、今年からプロ野球に参入した楽天イーグルスのホームタウンである。その仙台に、
25年も前から教会の中で活動している草野球チーム、それが仙台聖泉イーグルスである。こ
のチームは、若者が教会で生きていくための一環として設立され、メンバーが9人ギリギリの
時など、さまざな時期を乗り越え、現在は紅白戦ができるまでの人数が揃い、今は教会の野球
部、その活動は教会の定期集会の一つとして定着している。今回はキャプテンでもある私の視
点で、シーズンを終えたチームをルポしてみたい。
 ここ数年、指揮をとるヘッドコーチの方針で、実質、基本的にレギュラーは30代前半の選手
が最年長となり、JSF(中高生、青年)だけのメンバー構成になっている。まだまだ打力がある4
0代の選手でも、ベンチを暖めつつ、プレーをしている息子たちに熱い視線を送っている。
 ST君(高校1年)は、レギュラーを守りつづけるために、ショートを守る中学生と一緒に、ヘッド
コーチからのすさまじい猛ノックを受けつづけた。彼は、今シーズン、サードのポジションを任さ
れた。控えにはなりたくない。しかし、その任を全うするためには、それに間に合う者にならな
ければならないことを理解してのことだった。彼は、春先にはファーストまで、ワンバウンド送球
しかできなかったのに、今では矢のような送球ができるようになった。
 SK君(高校2年)は、特別野球に詳しいわけではない。教会では、ベースを弾くのが得意な、
中高生のリーダー格、いい兄貴分である。コーチは彼をずっと2番打者として起用、送りバント
のサインを出しつづけた。 バントも、やってみるとなかなか決められない。だが最終戦、彼の
送りバントがきっかけでイーグルスは唯一の得点をする。彼は引き続き課題に取り組みつつ、
来年も強肩をいかして外野から好返球をすることだろう。
 AM君(社会人)も、野球センスに長けているわけではない。もともとは不得意な方だった。け
れども彼の、教会の野球に取り組む姿勢は素晴らしいものだった。レギュラーとして使ってもら
うために、どのようにしてアピールしたらいいか?また、ベンチにいる選手は何をすべきなのか?
 今シーズン彼は必死で取り組んだ。彼は、俊足を生かして外野フライを好捕しつづけた。だ
から、試合がある日、本当は雨が降ってほしいと思ってる人も、また、不動のレギュラーにおか
れた人も、彼の姿をみて目の色を変えてプレーしているのである。
 IM君(大学1年)は、キャッチャーであるが、昨年まではベンチに帰ってくるたびコーチに注
意、時には叱責されていた。「お前はただボールを受けているだけじゃないか」 「唯一全体を
見渡せる立場なのに何を・・・」 けれども彼はコーチの教えに従いつづけ、間合いのとり方、配
球、守備体系の指示が自然とできるようになった。だからコーチは、今は実際の試合での守り
のことは彼の指示に任せている。彼のそういった働き様は、野球のことだけではない
 SNさんは、SK君、ST君の父親である。彼は長い間イーグルスに選手として関わってきた1
人である。SNさんには、コーチとか、マネージャーとかいった肩書きはない。それにもともと野
球については、(イーグルスの活動が始まるまでは)そんな詳しいほうじゃなかったはずである。
SNさんは、試合前のシートノック、試合後の練習にて、キャッチャー、球拾い、キャッチボール
の相手・・・精力的に動いている。そして、かけ声もだす。試合中は、選手一人一人に声を掛け
ている。SNさんの存在は目立たないが実は大きいのだ。SNさんと話をすると、実はイーグル
スの試合内容をよく覚えているのだ。それは、試合に出場はしていないが、ちゃんと参加してい
るということなのだ。
 そして私・・・今年は、3番打者にしては足が遅いから、という理由で、ずっと4番を打たされ
た。私にとっては単なる「4番目の打者」・・・しかし、相手チームの投手は、球の速さ、変化球、
コース、どれをとっても最高の投球をしてくるのだ。私はわかっていながらも大変戸惑った。 
今、少しそれに対処するコツをつかみかけている。来年に引き続く課題・・・レギュラーとしての
年数がもうそんなにないであろう私の、また、将来コーチとして、またスタッフとして若い人たち
に対するための、課題である。
 最後に、期待のホープYM君。彼は小学6年生だが、最後の2試合、スタメン出場した。彼
は、教会では小学生のリーダー格として、また、I兄が師範を務める小さな剣道教室で、一年間
主将として、ときには叱責を受けながら、そこに自分をどう生かしていったらいいのか、取り組
みつづけたのである。 だから、彼はセカンドという、他の人との関わりが多いポジションに、未
熟ながらも積極的に取り組み、130km近い剛速球を歯をくいしばって打ち返していた。
 なぜ教会で野球なのか? なぜ教会でやれレギュラー、やれ補欠なのか? けれども私は、
イーグルスを通して、共に生きるべき人は誰か? どこに本当の救いがあるのか? 神の業に
取り組む方法とは? 自らの果たす役割、戦いとは何か? そして従うことの豊かさとは?・・・
といったことを、教えられ続けており、大変感謝している。
 「神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。あな
たは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷を着けられました。あなたは人々に、私たちの
頭の上を乗り越えさせられました。・・・しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されまし
た。」  (詩篇66:10〜12)


   

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