「同労者」第74号(2005年12月)                         目次に戻る

巻頭言
− クリスチャンの戦い − 
仙台聖泉キリスト教会  斎藤 望


今年一年間講壇よりサムエル記に登場する王達を通して私たちの信仰のあり方について語ら
れています。特にダビデの神に対する敬虔さを見るときに驚きさえ感じます。
幾度も聞かされた話ではありますがその都度考えさせられる点が異なっているところに神の示
しがあるように感じます。
私の日常生活の中でもダビデと同様に戦わなければならないことは数多くあります。
聖書全体の流れを見ますと歴史は戦いの中にあったことがわかります。一つ一つの戦いをど
のように戦ったのかあるいは逃げたのかが細かくかかれています。そのことを考えるときにキ
リスト教(旧約、新約)は主の御名の為に戦うことが大切であることがわかります。それは、現
代における私たちクリスチャンの信仰生活においても同様であると思われます。それは、まさ
にダビデがゴリアテと戦ったように私達が生活している社会、環境の中でも戦いの場が数多く
あります。
 ぺリシテの中でのダビデの戦いは巧妙であり、戦略的であり現代の社会を垣間見るようで
す。
私達の戦いには主が伴っている事を確信している必要があります。私達の前には主の軍の将
が、背後には天の軍勢が控えていることを知って神との会話である祈りを持って主に寄り縋り
ながら戦うのです。
困難と思われる問題や絶望的な時こそ主による助けが必要で人には到底できないような事を
なして下さるのです。私が困難の中にあった時にどのようにして解決したのかを思う時に神の
助けと、私の戦いの場に共に主が居られた事を感じたのです。
クリスチャンにとって常にファイティングポーズをとっている事は、悪魔の策略に陥らないため
にも必要です。武具を着けて、目標に向かって打ち込む、栄冠を勝ち取るために立ち上がるこ
とが大切です。戦いで守らなければならないものがあるからこそ真剣になります、それは家族
の信仰であり、教会であり、関係する人々です。ですから自分自身の信仰をしっかりとしなけれ
ばいけないのです。
子供たちが大きくなるにつれ問題も大きくなり切るか切られるか、取るか取られるか信仰の戦
いは激しくなってきます。今私に必要なのは主に従い敬虔であるということです。ダビデがサウ
ルを刺し殺さなかったと同様に主のご計画を妨げることなく従う信仰です。
「ですから神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなた方か
ら逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたに近づいてくださいます。」(ヤコブ4:
7〜8)


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