「同労者」第75号(2006年1月)
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書いたのは、エストニア・ハアプサル市のLydia Lindla さんです。日本語に訳してキリスト教の 月刊誌に投稿することに承諾を得ています。 写真の内の4枚はその人の知人(S-ro Arvo Tarmula アルヴォ・タームラさん)が撮影したも のです。民族衣装の写真は本人の撮影です。 山田 義 −− Lydia Lindlaさんから、山田義兄宛のお手紙 −− 2005年11月29日 エストニア・ハアプサル市よりきょうの夜のことをお話ししたいと思いま す。町のカテドラルでのコンサートからついさっき家に帰ったばかりです。 "Credo" クレドという 室内合唱団が エストニアの首都・タリンから来て歌ってくれました。出し物は古典曲や現代の メロディーでしたがユールの節季を待つために捧げられました。パイプオルガンの伴奏です。 会堂は人々でいっぱいでした。音楽はとても気に入りました。素敵でした。 コンサートのあと、聴衆全員が Vaike Linnusという「小要塞(城壁)」の庭に出ました。驚きまし た!それはそれは大勢の人が集まったのです。あちこちの階段や広場に何百人の子ども、お とな、老人も若者も立っています。みんながロウソクを持っています。まだ点火していません。 舞台の上には少年合唱団が赤い帽子をかぶってユールの歌を歌い始めました。 そのあと、牧師が立ってアドベントの開始を宣言し大型ローソクに点火しました。集まった人た ちに全員に、さあここで、手元のローソクを点けて、家に持って帰りましょうと呼びかけました。 ほんとうに厳粛な思いで胸うたれました。私は長い間立ったままで闇の中の火を愛でたもので す。時を同じくして知り合いにあちこちで会い、互いに美しく静粛なアドベントのあいさつを交わ しました。 要塞の大きな公園は暗いのですがみんなの手に持つローソクが道を照らします。私 は思いに耽りすばらしいと思いました。なんという多くの人々がここにやって来たのでしょう。暗 くて足下が滑りやすくぬかるんだ夜でしたのに。すばらしいわね。 人々は火のついた小さなランタンを持って行きます。私の知り合いは言いました。「この火を家 に持って行くのではなく公園の木に置きましょう。あの木は私の叔父が何年も前に植えたんで すよ。ロウソクを点(とも)しておくの。」きれいですよ、ね。私は、家に帰ると夫のボリスに、 補足:これは15年前から始まった行事です。 私は、写真は写しませんでした。でもたくさん撮 っている人がいましたからそれをもらって送ります。 ハアプサルのカテドラル(大伽藍)について 綴り文の中に、カテドラルということばが出てきますが、英語で言う"Dome Church"のことで す。私たちのハアプサル市の広報によると、ハアプサル市は1279年からラアネ郡の中心的 な町となっています。そのときすでにここには聖公会の教会が建ち上がっていました。市として の機能も得ていました。ここにある司教の要塞は当時を思わせます。ハアプサルでは夏期の 文化生活も機能していました。取り巻く803メートルの壁は16世紀からのものです。 ユール祭とクリスマス(キリスト誕生祭) 辞書によると、ユール祭という名前は北欧にあった昔の異教徒の祭りです。のちにキリスト誕 生祭(クリスマス)に代わります。これで間違いではないのですが、有史以前からこの祭りは、 日が長くなり始める冬至を祝ったのです。ユールは光明の祭りでした。キリスト教が入って来て からは、この祭りはキリスト誕生祭という名前になったのです。エストニア人はキリスト誕生祭 の以前から長い間この日を祝っていたのです。エストニア人は異教徒であり、自然、特に森と 石を信じていました。エストニア語ではJouludと言いますがクリスマスのことです。最近では、ス エーデンやフィンランドのグリーティングカードにはユールと書くのを見受けます。大差はありま せん。 メールで送った私の写真をほめていただきありがとう。来年日本へ行くときこの民族衣装が 役立ちますか。この衣装を着るというアイデアはいいですね。「ポットチャポ」というのはポットが 由来です。ポットとは料理で使う入れ物のことです。この帽子がポットに似ているからそうなった のです。英語では "pot-shaped caps"です。紙を芯にして絹を張って作ります。真綿や麻のす じを詰めます。私の写真を載せてくださって結構です。この写真では前掛けがあるべきなので す。見本市でしたから前掛けはしなかったの。不思議なことにこの帽子には中国の絹を使いま した。大昔もそうだったんです。エストニア人は船乗りとして知られていましたから世界中の海 を渡り、船乗りは妻のために遠い国から絹を買ってきたのです。 |