「同労者」第75号(2006年1月)                          目次に戻る 

論  説

 − 2006年になすべきことを展望する 

「話が終わると、シモンに、『深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。』と言われた。」(ル
カ5:4)

 昨年は事件の多い年でした。迎えました2006年も、それが好転するとは全く考えられませ
ん。そのような中で、私たちがイエスの救いに立ち、その教えを守って世にイエスの福音を示し
続けるためには、「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」(マタイ10:16)とのイエスの
ことばに添ったものであらせていただくことが必要でしょう。しかし、世の問題は多いのですけ
れども、目に見えるこの世の改善に私たちの使命を見いだすことはないでしょう。私たちの使
命は、福音を伝えることであり、世を改善するのではなく、世から救われる人々を引き上げるこ
となのですから。この世のことについてイエスはこう言われました。「死人たちに彼らの中の死
人たちを葬らせなさい。」(マタイ8:22)
 さて、そのような視点に立って私たちがこの年になすべきことは何かと考えますとき、上のみ
ことばはその大切な指針を示しています。まず「深みに漕ぎ出す」ことです。
 それには二通りの意味が考えられるでしょう。その一つは、私たちが霊的な深みに導かれる
ことです。もう一つは、実際の働きの現場のより先方に進むことです。
 霊的な深みとは何でしょうか。それは自らの福音経験をより確かなものとしていくことに他なり
ません。
 もしも認罪が皮相なものであったとしたら、罪の悔い改めも皮相なものとなるでしょう。そして
救いもまた皮相なものとなり、十字架の贖いは飾りにすぎないことになります。私たちの賛美に
も、祈りにも、語ることばにも、罪がなく、十字架がなく、贖いがなく、救いがないものとなりま
す。たとえ、癒しを叫び、愛を叫び、神の栄光を叫んでも、十字架のない賛美、十字架のない
祈り、十字架のないことばは空しいではありませんか。
 福音経験の深みに導かれるためには、「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国
は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11:
12)といわれたイエスのみことばどおり、私たち自身熱心にそれを求める必要があります。そし
て、摂理によって導かれる自らの課題、問題点を、牧師先生はじめ、しかるべき教会の中の指
導してくださる方々に教えられながら取り組むことです。
 霊的な深みに進ませていただくにつれ、祈りに重荷を与えられ、教会の中で実際に担うべき
荷にも導かれるにちがいありません。その荷を担うことなかに、「網をおろして魚をとる」働きが
なされます。私たちはその働きにいそしませていただこうではありませんか。
  

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